ささやかな日々

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2023年04月11日(火) 
週末留守にしていたら、ネモフィラがすっかり萎んでしまった。可哀想に。出掛ける前に水やりをしたのだけれど、足りなかったか、と悔やんでももう遅い。慌てて水をやっても復活してはくれなかった。ごめんね、種をちゃんと採ってやれなくて、と謝りながら萎んでどうしようもなくなった苗をそっと抜く。その隣でクリサンセマムとラナンキュラスは元気に咲き続けてくれている。ありがたいことだ。ただただ感謝。
このところ強風続きで薔薇の葉がすっかり傷だらけになってしまった。彼らは自らの身にまとった棘によって自らの葉も傷つける。この姿を見つめていると、かつてリストカットに溺れていた自分自身が重なる。自分で自分を傷つけることでしか越えられない夜があったことは確かだけれど、それはとても哀しい姿だったろうな、と、今なら思う。
そして同時に、性犯罪加害者・性暴力加害者のひとたちの姿も思い出される。自らの行為で自らの首を絞めてゆく彼ら。そんな姿こそ、哀れ、と言うのかもしれない、とふと思った。

加害者プログラムのために手紙の返事を書いていたら、あっという間に夜中を過ぎてしまった。手紙をしたためるのにはエネルギーが必要だけれど、それ以上に時間も必要だな、と改めて思う。
今回45通目の手紙を受け取って思い出した言葉がある。知らないことは罪、だったか。誰がそう言ったのか何だったのか全く覚えていないのだけれど。そんな言葉があったな、と思い出す。でも、そうじゃない、知らないことは罪などではなく、知ろうとしないことが罪なのだ、と、私は今改めて思う。
彼らが対象者を捕食するにあたって、対象者をモノ化していたことはもう既に知っている。モノ化していたからこそ捕食できたのだ、ということも。もし彼らがその問題行為を始める前に、もっと被害や被害者について知っていたならどうだったろう。果たして対象をそんなにあっさりモノ化できただろうか。
また、被害には被害のその後があるということをもっともっと知っていたなら、どうだったろう。
想像はあくまで想像でしかないけれど、でも、思うのだ。もし彼らがちゃんとした知識を持っていたならば、と。そうしたらまだ少しは、被害者は少なくて済んだんじゃなかろうか、と。

知らないことが罪なのではない。知ろうとしないことが罪なのだ。

前回のプログラムの際、痴漢と盗撮の体験を語っている私の、その語りを聞いていて恐怖を覚えた、吐き気を覚えた、という声があった。その感想を聞いて私は正直ちょっとびっくりした。よほど自分の問題行動については他人事なのだな、と思わずにはいられなかった。その恐怖を感じるような体験を私に強いたのは、君たち加害者なのだよ?と思わずにはいられなかった。でも。
それをそのまま言ってしまったら対話は続かない。だから、言葉を選んで、伝える。
「被害体験について語る横顔を見ていて涙が出てしまいました」という声もあった。そこまで自分に置き換えて感じ入ることができるのなら、もうこの先再犯だけはしないでほしい、と、切に願わずにはいられなかった。

重ねて言う。
知らないことが罪なのではない。知ろうとしないことが罪なのだ。
自戒を込めて。


浅岡忍 HOMEMAIL

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