ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2023年04月02日(日) 
ラナンキュラスが咲いた。黄色と白。橙色もあったはずなのだが姿が見えない。何処に消えてしまったのだろう。朝顔と向日葵、そして息子が植えたトマトが芽を出してきた。ぐいっと土を持ち上げるあの姿がたまらなく力強い。頼もしい。いつだったか植えた向日葵は全員蕩けてしまったので、今年は誰か一人でも丈夫に育ってほしい。丸坊主だったアメリカンブルーからようやっと新芽が出始めた。でも、四株あるうちのひとつだけ、うんともすんとも言わない。枯れてしまったのだろうか。ちょっと悲しい。
薔薇がこぞってうどん粉病になってしまった。慌ててお酢の希釈液を作る。早く治れ、早く治れ、唱えながら液を噴きかける。
春なんだなぁと思う。私にとって春は正直憂鬱以外の何者でもないけれど、植物にとっては「さぁここから!」という季節。みんな勢いよく芽吹いてきて、ここどけそこどけの勢いだ。

傷ついた友から「心が折れそう」とメッセージが届く。このところしんどいことが立て続けに起こっている。心が折れそうになって当たり前だと思う。きっと頑張って踏ん張って立ち続けているから、泣く暇もないに違いない。
でも。
そういう時こそ、ぽろり、泣いてみるといい。思っている以上に我慢を続けてた自分に気づけるから。涙を零れるままに任せてしばらく過ごしてみるといい。泣くだけ泣いたらもしかしたらつかえてた喉元がすっきりするかもしれない。
「だいじょうぶ、ひとりじゃないよ」と必死の思いでタイプする。しばらくして彼女から「うん、ありがと」とだけ返って来る。
あと私にできるのは、ただ、祈ることくらい。想いを乗せて祈ることだけ。
窓の外風がびゅうびゅう吹いている。この風に想いを乗せたら彼女のところに届くだろうか。

生きていると、生きる程に、誰彼の死と交叉せずにはいられない。私達命あっての生き物だから、こればかりはどうしようもない。そして、誰にも等しく、死はやってくるもの。
みんな、めいめいの命を生き切って、亡くなってゆく。命のバトンを次に託して。だから私たちができることはきっと、そのバトンをしかと受け取って握り締めて、ここを、次を、走り始めること。生きてゆくこと。生者にできるのは、ただ、そのこと。
悲しくないわけじゃない。悔しくないわけじゃない。それでも、死は避けようがない。それならもう、受け容れてゆくのみ。このバトンを決して落とすことなく走り出すのみ。

「人間は二度死ぬ、肉体が滅びたときと、人々に忘れ 去られたとき」。
本当にそうだなといつも思う。だから私は、折々に思い出す。先に逝ってしまったひとたちのこと。思い出して、語りかける。どう?元気? 最近どうしてるの? 私はねこんな具合なんだよね。遠慮なく語りかける。相槌を打ってくれる時もあれば、何となく俯いている時もある。
生きていれば生きた分だけ、見送るひとたちも多くなってゆく。でも、彼らは私の中でずっと生き続ける。生き続けてる。だから、だいじょうぶ。


浅岡忍 HOMEMAIL

My追加