ささやかな日々

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2023年03月08日(水) 
日の出前の空がすっかり霞んでいるここ数日。ぼんやりとしたグラデーションを、これまたぼんやり私も眺めている。
ネモフィラがようやく蕾を付け始めた。まだ咲く様子はないけれど、蕾が出てきてくれたことがとても嬉しい。そしてラナンキュラスは葉を伸ばしたい放題伸ばしている。いつ咲くの?と話しかけたりしているのだが、どうものんびり屋らしい。だから私もしつこく声をかける。
ビオラが全色咲き揃ったのだけれど、イフェイオンとムスカリの姿がちっとも現れて来ない。こちらも今年はのんびりしている。いつかないつかなと毎朝覗くのだけれど。
それにしても暖かくなった。ちょっと厚着をしていると汗をかいてしまう。まだ三月なのにと思う私の隣を、卒業式を済ませた学生服を着た子らが声を上げながら通り過ぎてゆく。そうだ、三月とはそういう季節だった。
卒業、私にとって卒業式は中学校の卒業式だけしか記憶がない。高校や大学はどうしたんだろう、と思うのだが、欠片も記憶が残っていない。
中学校の卒業式。最後の最後に残っていた子らで何故かフォークダンスを踊ったんだった。なんであんなことになったんだろう? 思い出せない。思い出せないのだけれど、私が恋人から殴られたりしていたのをたびたび助けてくれていたⅯ君と躍った時、どちらともなく涙がぼろぼろ零れたのだった。「高校行っても頑張れヨ、無理しすぎんなよ」、Ⅿ君は涙を拭いながら私にそう言った。私もうんうんと返事をしながら何か言った記憶がある。他の誰と躍ったなんてまったく覚えていないのに、この一シーンのみ、私の中にくっきり鮮やかに残っている。

記憶とは。本当に都合のいいものだと思う。あるひとたちを眺めていると、記憶を改竄してゆくのを目の当たりにしたりする。いやそれ違うよ、と思うのだが、彼らの中ではもうその改竄した事柄こそが真実になってしまう。記憶は嘘をつくというタイトルの本が昔あった。どういう内容なのか全く思い出せないのだけれど、でもこのタイトルは私の裡に刻まれていて、折々に思い出す。同感以外の何者もない。まさに、「記憶は嘘つき」だ。自分の記憶もしかり。

今日やってきたSちゃんは、元受刑者でもある。依存症者でもある。今日はクリニックでマイヒストリーを開示してきたところ。とてもはきはきくっきり話をする彼女だが、今日はいつもと少し何か違う。ああそうか、よく笑うんだ、と気づいた。これまで数回彼女と会っているけれど、その時はいつも別の友達も同席していて、その彼女の話を私とSちゃんとで聴くことがほとんどで。だから、ふたりで会ってゆっくり話すのは、今日が初だったことを改めて思い出す。
元受刑者、ということを彼女はとても背負っていて、いや、それが当たり前なのかもしれないが、私などからするとそれは背負いすぎじゃないかと思えるほどで。でも。社会からの蔑視は、容赦ないのだろう、元受刑者ということが手枷足枷になることは間違いないのだろう。そんなに頑張りすぎなくても、と思うことばかり。でも、そうしなければ認めてもらえないのだ、と彼女は言う。
何となく、被害者も元受刑者も加害者も、その点よく似ているな、と思う。偏見、蔑視、どこまでもついてまわる。もちろん、それが為される背景は、前者と後者とではまるっきり異なるのだけれど。
Sちゃんを見送って、家族に夕飯を作りひととおり一日が終わってひとり煙草を吸いながら換気扇の下で思う。私は、何処かに所属して、何かに拠って立つのが、被害に遭って以降、本当に難しくなった。会社という空間に居ることがトラウマからできなくなったことやそれでも試みたあれこれで手痛い経験を経たおかげで、ますます苦手になった。今はもう、諦めた。手放すまでに時間はかかったけれど、でももう、諦めた。
諦める、手放すって難しい。簡単じゃない。手放せないままでいることも実際たくさんある。でも、自分を傷つけて来るものに対して、もうこれ以上傷つくことはない、と思うことは罪悪じゃないと思えるようになったのは大きい。自分を守れなければ自分が大切にしたいひとたちのことも守れない。そのことを知った。
それでも私はまだまだ下手だ。護り方が下手だ。だから、行きつ戻りつしたりもする。それもまた私の一部。否定したってしょうがない。つきあっていこうと思う。そして、死ぬその時に「ああ生きた、生き尽くした」と笑えるよう、今はただ、こつこつと生きていこうと思う。
そもそも私は生きるのが下手だ。ヒトの真似をしてどうこうできる人間でもない。なら結局のところ、自分で自分を全うするくらいしか術はない。そういうところに辿り着いて、腹を括って、ようやっといろいろ見えて来たものがあったりもする。もう人生折り返しを過ぎた。この道をただ、歩んでゆこう。

さて。仕事に戻るかな。


浅岡忍 HOMEMAIL

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