ささやかな日々

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2023年02月15日(水) 
ランドマークのてっぺんのあたりで、数羽の鳥たちが旋回していた。その様は曇天なのに眩しく私には見えた。鳥たちが喜んでいるように見えたからだ。あんな高いところを飛ぶことができる鳥たちには、今この場所はどんなふうに見えているのだろうか。何だか不思議な気がした。私から見た彼らは小さな影で、でもくっきりと空に浮かび上がっていて、輪郭はくっきりとここからでも見て取れる。一方彼らから見た私は?
ちょうどエレベーターが吸い込まれる場所に枯葉が溜まっている。かさかさと音を立てながらそこで蠢いている。エレベーターは絶え間なく動き続けるから、彼らは止まれない。そして、何処にも行けない。行き場のない彼らはまるで、性暴力に晒された被害者たちの群れのように見えてしまった。私の錯覚だと分かっている。でもとても置かれている状況が似ていて、切なくなった。

と、そこまで昨夕書いていて、止まってしまったんだった。

ルイボスの、アップルシナモンティーを淹れてみる。友人が贈ってくれたアップルティーがあまりに美味しかったので、弾みで購入してしまった品だ。シナモンの香りが軽く漂って来る。そのシナモンの香りにちょっと、立ち止まってしまう。
この香りさえもが感じられない頃が私にはあったんだったな、と。思い出すのだ。どうしても。シナモンの香りを嗅ぐと、どうしてもそのことを思い出す。それがどちらに転がるかはもう、その時の心調によってまるっきり異なる。今日はちょっとブルーで、だからマイナスの方向に転がり落ちた。
シナモンといえば結構強い香りなはずだった。それが或る時から分からなくなった。いや、シナモンに限ったことじゃなかったのだ、あの頃は。食べるモノは悉く砂のようだったし、飲み物は温かいか冷たいかくらいの違いで。ただ今日生き延びるために喰って飲んでいただけの話で。だから味や匂いがわからなくなっていることにそもそも、なかなか気づかなかった。
気づかないくらい、その当時は要するに、生き延びることに必死だっただけ、だ。

加害者はそんな、被害者の必死に生き延びる様など、告げられなければ知ることもないんだな、と、改めて思う。いや、加害者に限らず、当事者以外。当事者にとってそれはまさに渦中のことであって、我が事であって、それ以外の何者でもないが、当事者以外にとっちゃ言葉通り他人事であり、そもそもそれがどれほどの必死さかなんて、知ったこっちゃないわけだ。
想像力って、何のためにあるんだろう。

今小説を読まないひとが結構増えているのだと耳にした。ぽかんとしてしまった。なるほど、想像力なんて望まれない世の中だものな、と、妙な納得があった。でも、それは、それを肯定したわけじゃない。むしろ、それはまずいだろと思う。
昔私のいた高校の後輩らが、ニュースに出るような事件を起こしたことがあった。三角関係のもつれで、他校の男子生徒をうちの高校の生徒が刺してしまったというニュースだった。ただ刺したなら死ぬことはなかったんじゃないかと思われ。というのも、刺した後その男子生徒は刃を捩じってしまった、と。
結果、相手は死亡。
包丁等をただ刺しただけではひとは容易には死なないのだとその時教師が溢した。刺した包丁を捩じるというそこが、生死を分けたのだ、と。でもそんなこと、きっとほとんどの生徒が知らなかった。知らないというのは怖い、とその時つくづく思った。
そして、そもそも、それを想像しないことの罪を思いもしたんだ。そうしてしまったらどうなるか、と一ミリほども想像しなかったという事実の重さ。
小説や映画、演劇や音楽を通して私たちは疑似体験する。そして想像を働かす。もしこういう状況だったら自分はどうしていただろう、とか、あのひとはどうしていただろう、とか。たとえばの話だけれども。
そんな疑似体験をほとんどせず、大人になってしまった子どもらは、一体どうやって他人と共感しあったり共鳴し合ったりできるんだろう。共鳴も共振も共感も、想像力がなければ味わえない感覚なのに。
そんな私たちは、他者の目、社会からの目を気にするくせに、隣人にはひどく鈍感だったりもする。隣人を、自分が大切に思うひとたち、と置き換えれば私の意図するところが伝わるだろうか。

how to を網羅するより、ひとの心に声に、耳を傾けることに努めたい。こんな時代だからこそ。
簡単にオンラインで通じるのは分かっている。でもだからこそ、大切な相手とは直接会って体温を感じたい。こんな時代だからこそ。
そんなことを改めて自分に刻んでみる。時代と逆行してると嗤われようと構わない。私が大切にしたいことは、そっち、だ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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