ささやかな日々

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2023年02月12日(日) 
昨日は息子と自転車で実家へ。私は母に誕生日プレゼントを渡す為に、息子は息子で練習を重ねた大道芸をじじばばに見せたいと勇んで向かった。着くなり芸を披露してみせた息子だったのだが、じじばばまったくの無反応。芸を終えた息子がとことこ私の隣にやってきて言う。「母ちゃん、ボク寂しい。反応ない」。すっかり凹む息子。そりゃ凹むよなぁと私も心の中思う。そんな私達を見たじじばばが、「え?今拍手するところだったの?」と。じじばば完全にタイミングを逸したところで拍手。息子ぽかーん。そしてさらに凹むという具合。私はその様子にもう苦笑以外浮かばず。まぁうちの父母にはあるあるだよね、と思う。息子には初体験のことだったろうが、息子よ、君のじじばばはこういう、空気を読まないところがあるのだよ、と、心の中で呟いた。
こんな父母のタイミングの悪さというか、ズレというか。そういうのを散々これまで体験してきた私や弟はだから、父母に「褒めてもらう」ということを放棄したんだった。何度も望んで何度も願って、でもその度がっくり凹んで。凹むのにも疲れるとひとはやがて諦めに到達するものだ。
それが他人同士なら、縁も切れよう。でも私と弟にとって父母は父母であり、家族だった。だから厄介だったんだ。諦めても諦めても、何度でもむくむくと想いが沸き上がってこようとする。そんな自分たちの内奥に辟易しながら、私たちは十代をあの家で過ごした。もう、まさに「過去」だけれども。
帰り道、自転車に乗りながら後ろから息子が言う。「じじが笑って「行儀悪いままならもう遊び来なくていい」って言った時、すげぇ怖かったよ」。
息子よ、じじは本来とんでもなく恐ろしいお人だったのだよ、母ちゃんはじじと絶縁してた時期もあるくらいなのだから。そう言いかけてやめた。君は今のじじをちゃんと見て感じるべきだ。私には私の、君には君の、じじが、父が、いていい。

機能不全家族。アダルトチルドレン。その言葉に初めて出会った時の衝撃は今も覚えている。ああこれだと思った。ここに私の居場所がある、と。私が十代の頃だから、もう40年は昔のことだ。あの言葉にあの時期出会えていなかったら、私はもっとずっと生き辛く息苦しく、ここにいなかったかもと思う。それらの言葉を見つけてやっと一呼吸できて、だからこそ私はあの家を出ることができた。
その先で性被害に遭って、私は父母と言葉通り絶縁した時期があった。そうした時間を経て、娘/孫というもので再び私たちは縁を繋いだ。それでも一体何度ぶつかったか知れない。そうして「私たちは理解し合えない」というところから始められる関係もあるのだと、ようやく知った。それがあるから今ここの関係も成り立っている。
一度これでもかというほど壊れて、どうしようもなく断絶もして。そうやって幾重にも幾重にも時を重ねての今、なのだ。ひとっとびに今ここがあるわけじゃぁ、ない。
ひととひととの関係というのはそういう、重いものなのだよ、息子よ。ひとはひとであるかぎり誰かしらと関係し続けてゆく。君もこれから幾つもの関係を培うだろう。ひとつひとつ大事に培えよ。私は息子に心の中、そう言葉をかけていた。

母が、あと何年迷惑をかけずに生きていられるかなぁとLINEをよこす。80を越えても父と母とふたりで懸命に暮らしてくれていること、すごいと思うと素直に返す。そのお陰で私は今子育てやら何やらやっていられるのだから、と。そして気づく、父や母に言ってなかった一言。だからこっそりLINEで伝える。「ありがとうね」。
母の誕生日にそういえば昔はいつも花を贈った。フリージアの香りが好きと知ればフリージアを贈り、眠るのが不得意と知れば枕に忍ばせるラベンダーのドライフラワーを贈ったりした。なけなしの小遣いをはたいて買うそれらは私には大事な代物で、だからいつだって母に大喜びしてほしかった。もちろん母はそんな素振り見せないひとだから、いつも私は凹んだ。まるで先刻の息子のように。
そういう小さなものの堆積が、ひととひととの歴史になる。関係を築く。


浅岡忍 HOMEMAIL

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