ささやかな日々

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2023年01月11日(水) 
近所の公園の花壇の薔薇たち、今日久しぶりにあったら、葉っぱも一枚もない丸裸な状態でそこに居た。ああ今年も剪定されたのだなと何だかちょっと羨ましくなった。私は剪定が下手だ。うまくできたためしがない。そのせいでいつもためらいがちになってしまう。それじゃだめだと思うのに、この枝も残しておいてあげたいななんてためらってしまうのだ。それがいけない。分かっている。だから決めた。明日絶対に試みよう。思いっきり剪定するんだ。小さな決意。

今夜は失敗が幾つも。時間を持て余している息子を誘ってスパイスケーキを作り始めたのだが、計量カップに入れておいた牛乳を倒して床を牛乳浸しにした瞬間、怒鳴ってしまった。
誰にでも失敗はある。牛乳だろうと水だろうと零すときは零す。分かっている。分かっていたはずなんだ。なのに。
思わず怒鳴ってしまった。彼がその後一生懸命片づけていたにもかかわらず、愚痴を言ってしまった。なおさらいけない。
何をやっているんだろうと思う。せっかく一緒に作り始めたというのに。今思い返すと恥ずかしくて申し訳なくて、穴があったら入りたい気持ちになる。
明日の朝、息子に一番に謝ろう。焼き上がったケーキを一緒に食べながら、ちゃんと謝ろう。そしてまた一緒に作ろうねと約束しよう。
本当に。私は何をやってるんだか。
集中して何かをしている時にそのリズムを壊されると、私は今回のように暴発してしまうことがよくある気がする。駄目だなと思う。まだまだ未熟者だ、おまえは。つくづく思う。
でも、一方で、彼に任すところは任せられたこと、それはよかった。クルミを砕く作業や粉類を篩にかけるところ、小さなことたちを彼に丸ごと任せることができた。丸ごと任せた方が彼は生き生き一生懸命やってくれるのだから、これからも彼ができそうな作業を予め探しておいて、それは丸ごと任すようにしようと思う。

重ねて言うが、私のいけないところ。自分がこうすると決めているそのリズムを崩されるとこうやって暴発するところ。今夜はつくづく自分が嫌になった。息子よ、ほんとにごめん。

あと半月もすると、再婚して十年を迎える。十年も、一緒に過ごしてきたのか、と思うと、正直吃驚してしまう。
最初の結婚が二年三年で終わってしまった私が、再婚してちゃんと共同生活できるものなのか、本当のところ自信がなかった。私に共同生活は向いていないんじゃないかと何処かで思えた。
実際、家を飛び出したいとか家をふらりと出ていなくなりたいだとか、思うことはあった。でも、同時に、この部屋は私の部屋なのだ、この家は私の家なのだと思う気持ちもあった。両方の気持ちに、いつも引っ張られていた。
十年前、おなかが大きかったこの時期、家人が入籍を躊躇っていた。ご両親が私と私の親に対し反感を抱き、実際大喧嘩にもなり、絶対に入籍を認めない、子どもも認知しないと言い出したことに端を発する。
私はいらいらした。何故自分で決めないのか、何故親の気持ちばかり優先するのか、もうこのおなかの中の命は待ったなしなのに、と、家人を責める気持ち以外出てこなかった。だからもういいです出て行ってくださいと言ったこともあった。ただし、子どもの籍はきちんとしてください、と。
それが翻ったのは、いつだったろう。正直あまり思い出せない。
でも、結局彼は、入籍に同意し、2月2日に籍を入れたのだ。

あれから十年。何か変わったろうか。同時に、何が変わらなかったろうか。

細々とだけれど私と彼はそれぞれに自分の為すべきことを為し、ここに居る。それでもう、十分な気がする。
息子も、突拍子もないところはあるが元気だ。元気であってくれればそれで、いい。確かに38点のテストなどをひょいっと持って帰られると心中あたふたするが。まぁそんなあっけらかんとしたところも彼の長所であることを知っているのだから、それで、いい。
他人と共に暮らす、というのは、もうそれだけでストレスは生じるものだ。それでも一緒に暮らすことができること、感謝しよう。いや明日喧嘩して、ふざけんな、と思うのかもしれないけれども今夜、今ここでちゃんと感謝しておこう。
十年。明日それは途切れるかもしれない。いつ終わりになるかもわからない。それでも、今ここ、共に呼吸できているというそのことを、感謝しよう。
いつ終わっても悔いのないように。精一杯この場所を呼吸しよう。


浅岡忍 HOMEMAIL

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