2023年01月09日(月) |
Kちゃんから、立つということ、について問われた。彼女にとっての立つは、働いて身を立てること、とほぼ等しいようで。自分はそれが全くできていないと俯く。 働いて身を立てる。ということが立つことだとするなら、問われた私もほぼできていないのではないかと私は思っている。せっかく問われているのにこんな返事で申し訳なくなるが、それが真実だから仕方がない。正直に応える他ない。 じゃあそもそも、立つということを私がどう考え捉えているのかといえば。私は働いて身を立てることとは違う気がしている。 確かに、社会的に、働いて身を立てる、ということはまさに立つことなのだろう。しかし、私はそれを為しても立っている気がしなかった時間を過ごしてきたことがある。いくら働いても働いても、自分が立っているという実感は、あの頃なかった。むしろ、会社にこき使われ自分がどんどんなくなっていく、すり減っていく感覚ばかり、だった。 今、自分が社会人として十分に働いているかと言えば否だ。しかし、私はようやくここに来て、自分も弱いながら立っている感覚を味わっている。 確かに私は社会人としては不十分なんだろう。でも、他に拠って立っているという気はあまり今しない。自分の領分は領分として、引き受けることができるようになってきた気がしている。 私にとって、そうした、自分の領分を自分なりに弁えて、責任を持って生きることが、立つということなのではないか、と。そう、思うのだ。 Kちゃんと話を続ける為に、まずそこから対話しなければならないということに、気づいた。彼女から届いた手紙は、だから、とても貴重だ。
彼女の立つことから、私はかつて自分が居場所を必死に探していたことがあったことを思い出した。居場所、そう、居場所。私は幼い頃から自分はここにいてはいけない気がしていた。父母から愛されていないのではないか、そんな自分はここに居てはいけないのではないか、では何処へいけばいいのか、何処でなら私は生きられるのか。十代はひたすら、居場所探しをしていた気がする。 そうして家を飛び出し、一人暮らしを始め、社会人として歩き出した私は程なく、性犯罪被害者になった。ようやく自分で自分の居場所を見つけたと思った途端、それが木端微塵に砕けるのを目の当たりにした。 そうして、ようやく気付いた。居場所というのは、探すものではないのだ、と。見つけられるものではないのだ、と。そう、居場所というのは自ら耕し作り出すものなのだ、と。そのことに、今更気づいた。 それからというもの、自分の足元を耕すことに費やしてきた。自分の足の下には幾千幾憶の屍が横たわっていることにもそこで気づいた。幾千幾憶ものひとたちの犠牲の上に自分が今ここに立っているのだという現実に気づいた。その圧倒的な現実に、倒れそうにもなった。 でもたぶん、私はしぶといのだろう。我ながら呆れるほどにしぶといんだろう。生への執着が半端なかったんだろう。私は、今もこうして生きている。居場所を今日も作るために足元を耕しながら。 Kちゃんの立つということと私の居場所作りは、どこかでつながっている気がするのは気のせいだろうか。私の錯覚だろうか。いや、きっとつながっている。私は、彼女への返事をしたため乍ら、そう思い始めていた。
居場所も立つことも。もしかしたら生きてる最中には完了しないのかもしれない。死んではじめてそこで、できあがるのではないだろうか。ああここが彼女の居場所だった、彼女が立っていた場所だった、と、残されたひとびとが思う。そのことによって、ようやく完了される。 そんな気が、今、している。 |
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