ささやかな日々

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2023年01月06日(金) 
通院日。冬休み中の息子に昼食を作り置きしてから出掛ける朝。

昨晩思いついた、私は私の身体が嫌い、その身体から離れたかったのかもしれない、ということをカウンセラーに伝える。いくつか質問されたのだが、その中でも、何故そこまで自分の身体を嫌悪するのか、という至極単純明快な問いに、私はうまく応えられなかった。次回迄持ち越し、ということになった記憶が。
今もまだ、うまく言語化できない。何故どうして。辿って行った時、どうしても母の言葉が蘇る。一体あんたは誰に似たんだか、汚らわしい。母は、胸が必要以上に出っ張って尻も出っ張っている私の肉体に向かってそう言い放った。当時よく私は周りから肉感的という言われ方をしていた。肉感的。肉体が豊満だったりしぐさが妖艶だったり、あるいは肉体の描写がなまなましかったりして、性欲を刺激するさま。要するに母は私に、おまえは性的に汚らわしいと言った、と私には思えた。ショックだった。それが引き金になって私は拒食症に陥っていったのを今もまざまざと思い出すことができる。
でも、母は本当にそういう意味で言ったのだろうか。今となっては分からない。私はあの時ちゃんと意味を問わなければならなかった。でも私はショック過ぎて、問うことがまったくできなかった。だから、正確な母の言葉の意味を私は知らない。
私にそう思えてしまったことで、私は自分の肉体がこうであるから、自分の身体がこうであるから私は愛されないのだ、と自分を断じたところがある。父母に愛されたくて愛されたくて、愛されたくてたまらなかった幼い自分、何故愛されないのか、それは私がこの身体を持っているからだ、と、そう繋げてしまったに違いない。今思うと、だけれど。
父母の家から逃げ出して、ようやくひとりになり、レイプされるまでの短い一年弱という時間、私は唯一、その観念から自由だった。3月に飛び出して翌年の1月末レイプされるまでの短いその時間。
レイプされ、その後繰り返し性的搾取され続けながら私は、思っていた気がする。やっぱりな、と。自分なんてこんなもんさ、と。自分なんて所詮、この程度なんだ、と。何処かで。
いや、それも今思うと、なのかもしれないけれど。そう思えてしまうのだ。
そうやって考えてくると、私のこの身体嫌いは、十代のうちに種を蒔かれ、育まれ、そしてレイプという烙印によって決定的になった、ような気がする。
今もまだ拭えないこの肉体への嫌悪、憎悪。どうしたら折り合いつけられるようになるのだろう?
主治医からは、今年こそ減薬できるようにしていきましょう、今あなたが飲んでる量は尋常じゃあないもの、と、そう言われる。1月は記念日反応でとてもそんな余力はないから、せめて2月からでお願いします、と伝える。そうね、そうしましょうね、との返事。減らす、って、どう減らすのだろう。どう減らせるのだろう。私には分からないことばかり。正直、今は、この量を飲んで日常をやりくりするのが精いっぱい。まったくもって減薬する自信がない。
私の日常は、ふつうのひとから見たらかぎかっこつきの「日常」だろう。それでも、何とかやりくりできるようになってようやく落ち着いているというのが私の正直な実感。朝起きて家族の為に朝食を作り、掃除をし、洗濯をし。途中解離しながらも夕方ワンコと散歩に行き、夕飯を作る。短い眠りながらもとりあえずは眠れるし、何とかそうやってやりくりしている。これが崩れるのは、絶対に嫌なのだ。
もう、何もできない、自分には何もできない、何もない、という暗闇に戻るのは、もう、嫌なのだ。
灯りの無い長いトンネルの只中に在る時というのは、とてもじゃないが先を信じることなんてできない。微かでもいい、ほんのひとかけらでもいい、光が見えてはじめて、出口がちゃんとここにも在ることを実感できるというもの。そうでもなければ、もう私には出口さえないのか、と、絶望するばかり。
絶望というのは、たいてい、小さな希望を凌駕してしまう。これを反転させるには、途方もない気力が、精神力が要る。


浅岡忍 HOMEMAIL

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