ささやかな日々

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2023年01月05日(木) 
気づけば正月が終わり、日常が戻って来た。私なりの日常。日々の営み。
地平線すれすれに引かれた線の様な雲を下から桃色がかった輝きで照らす太陽が、じきに昇って来る。私はじっとその変化する様を窓を開け見つめている。しんしんと冷えた大気が心地よい。心地よいと感じられるくらい私の身体はぬくいのだなと、そのことを思う。
少し前から紅茶が飲めない。紅茶が飲めないことに気づいた時手元にあったのが、妊婦の時ずいぶんお世話になったルイボスティー。久しく飲んでいなかったのだが、たまたまルイボスのハーブティーを頂いて、淹れてみた。
何だろう、落ち着く。余計な苦みも雑味もない、癖もない。それが今の私には丁度良い。私は自分の心持ち次第で飲めるものが変わる。つまり今は、ルイボスティーの時期なんだろう。まぁ珈琲は別格。
ジンジャー&チリのルイボスティーを見つけて、早速購入してみる。これにすっかりハマってしまった。ひっきりなしに飲んでいる。私は薬の副作用で唾液がほとんど自力で出ない。放っておくと口の中がからからになってしまう。あまりよくないらしいのだが、そのせいで私は四六時中お茶か水を飲む羽目になる。今は珈琲とそしてこのジンジャー&チリのルイボスティーをたんまり淹れておいてこくこく飲む。
ちょっと油断するとすぐ希死念慮が湧いてきてしまうんです、とCちゃん。ほんのり涙を堪えながら、それでも一生懸命笑おうとしているのだろう、歪んだ口もとが痛々しい。もちろんそんなこと、口に出したりはしないが、私は心の中、共感もしていた。
PTSDの症状が最も酷かった頃、私も、指先ひとつ動かすだけでも希死念慮が湧いてきてしまうというような状況があった。毎日遺書がわりに日記を書いていた。でも本当は、誰よりきっとここにいたくていたくて仕方がなかったんだとも、今は思う。死にたい、というより、そもそも、私の場合自分を消去したいという気持ちだった。存在そのものを消し去りたい、私がかかわったすべての人たちの記憶を消して、自分という存在自体を消去したい、と。ひたすらそう願っていた。何度も凌辱された自分の身体に留まっていることは、苦痛以外の何者でもなく、だから四六時中解離した。身体と共にあることが、耐えられなかった。
かといって、身体という器がなければ私はここに留まっていることは本来できなくて。これほどに嫌悪している身体にどこかで繋がっていなければこの世界に留まることはできなくて。それならいっそ、この身体そのものを消去してしまえれば。私の未練も掻き消すことができるんじゃないか、と。そんなことをひたすら、必死に考え続けていた。
あの、その想いだけに雁字搦めになっていた頃。私の周囲の人間はそんな私をどう見て感じていたのだろう。Mちゃんが何年か前に会った時、こんなことを言っていたのを思い出す。「あなたはもう今覚えていないみたいだけど。毎日電話かけてきて支離滅裂なこと言って、消えたいって繰り返してたんだよ。よくここまで歩いて来たね。もうさ、あの頃のことは思い出さなくていいよ。忘れたままでいい」。そんなにも酷いことを、私は周囲を巻き込んで為していたんだな、と、思い知らされた瞬間だった。悪夢にうなされ起きると確かに私はMちゃんによく電話していたような気がする。現実と夢との境目が曖昧だから、怖くて怖くて、Mちゃんの声を聞いて確かめなければいてもたってもいられなかった頃。
それ以上のことを思い出すことは今の私はできないのだけれど。でももう、本当に、Mちゃんには頭があがらない。足を向けて寝られない。そんな心境。
今Cちゃんと煙草を吸いながら、私は、私から言えることなんて何もないなぁと悔しくなっている。いやというほど分かり過ぎてしまう彼女の今の震え。それを抱くなといっても無理な話なのだ、今の彼女に。それが、分かってしまうから、彼女を励ましたりなんて到底できない。
悔しいなぁ、苛立たしいなあ、このちっぽけすぎる自分が、本当に心底悔しい。でもそれが、私の現実。今の私の限界。
共倒れする気がまったくない私は、ただ、こうして、一緒に煙草を吸って、一緒に珈琲を飲んで、一緒に時間を紡ぐくらいしか、できないのだ。
Cちゃんが帰りがけ、次会う時間で生きるよう頑張る、とぼそっと言った。私は、おう!生きててよ!と声をかけた。心の中、Cちゃん、次も次の次も、私はあなたに会いたいよ、そしてまた一緒に笑い合いたいよ、と呟いてみた。本当はそう声をかけてしまいたいのをぐっと堪えて。
今の彼女にはそんな言葉も、負担にしかならないと思うから。

明日は自分の通院日。


浅岡忍 HOMEMAIL

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