2023年01月02日(月) |
何となく曇っている空の下、息子と自転車で実家へ向かう。オットはオットで電車でこちらに向かっているはず。実家の手前の公園で待ち合わせしている。 今日は娘孫娘も実家に集う予定だ。ママが行くなら私達もその日に行こうかな、と、娘が言い出したのが最初。父母ももう年齢的に、別日にそれぞれ集うよりも一日で全員集ってくれた方が楽で助かると言う。それなら、ということで今日、みなが集うことになった。 そんなこと、はっきりいって我が家では初めてだ。母はともかく、父は大勢が集うことをあまり好まない。放っておくとさっさと帰ってしまったりするくらいだ。それが、高齢になり身体が疲れるからという理由があるとはいえ、全員が集うことを受け容れるとは。私にはまず、それ自体が実感が沸かない。というより、しばらく前から始まっている記念日反応のおかげで半ば解離している状態で実家に行くのはどうなんだろうと思ってもいた。でもまぁ予定を入れてしまったのだから仕方がない。息子にとっちゃ大事なお年玉をもらえる機会。行かねばならぬ。その程度の気持ちで実家に向かった。 でも何だろう。この、変な感じ。もはや私の目は天井に在り、みなを俯瞰している。みながわちゃわちゃと喋り笑い食べている。何なんだろうこの、おかしな感じ。私はこんな光景、これまで見たことが、ない。 そもそも実家を背に父母と娘と写真を撮るのは初めてだった。しかも今日は息子もオットも孫娘もいる。何なんだろうこの光景は。解離しながらもぼんやりその光景を俯瞰していた。こんな光景を目の当たりにするまで私は一体どれだけ生きてきたのだろう。長かった、そしてあっという間でもあった。 食卓を全員で囲むというのも初めてのことだった。父母、娘孫娘、そしてオットと息子と私。何なんだろうこの画は。不思議で仕方がない。この縁は一体何処からもたらされたものなんだろう。目の前に並んだ食べ物を口にする私の舌は味を感知しないくらい解離している。それでもこれは、現実なのだ。 父母から私へ、私から娘息子へ、娘から孫娘へ、脈々と受け継がれる血を、恨み断ち切りたくて仕方なかった頃があった。どうやっても受け容れられず、ずたずたにしてしまいたかった頃があった。それがどうだ、今こうして皆が集い笑い合っている。私はそれをこうして俯瞰している。まるで別世界のことのように。 でもそれは決して別世界でも何でもなく、現実なのだ。解離しながらも私はそのことを嫌という程知ってもいる。父が母が、娘が孫娘が、オットが息子が、他愛ない話に興じ笑っている。そんな現実が自分にあり得ることを、私はまだ、実感できない。でも。それが今日の光景であることは、分かってる。 長く生きていると不思議なことにたくさん出会う、と誰かが言っていた。本当にそうだなと思う。何度三途の川を渡りかけたことか知れない私が、それでも今日こうして今生きて在る皆の宴の端っこに並んで在る。皆の笑顔が眩しい。時間が眩しい。正直私には、こんな光景はまだ苦しい。でも。 同時にありがたいなと思う。だからいつか、心からちゃんと、ありがとうと感じられる、思えるような自分に、辿り着いたら、いい。 |
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