2022年12月25日(日) |
今朝の空は朝焼けが実に美しかった。きーんと引き締まった濃紺から橙色へのグラデーション。橙色が地平線に沿って濃いめに立ち昇って、それはまるで冷たく燃えているかのようだった。 朝のワンコの散歩に出掛けた息子と家人は、霜柱と共に帰って来た。「母ちゃん見て見て!」玄関の外から呼ばれ出ていくと、3、4センチはありそうな霜柱の塊がそこにあった。息子が、母ちゃんに見せたいからと取って来てくれたらしい。すっかり凍えた手は赤くなっていて、急いでお湯で手を洗ってもらった。横浜でもこんな霜柱が見られるのかと、ちょっと嬉しくなった。「いっぱい霜柱踏んできた!」息子が嬉々として話してくれる。朝の一光景。 ビオラは紫ばかりが咲いている。他の色も種を蒔いたはずなのだけれども咲く気配がない。ネモフィラやクリサンセマム、東側のベランダのこの子らはまだ咲かない。南側のベランダの子らは今朝もくいっと首をもたげてめいいっぱい花びらを伸ばしている。病葉を抱えた薔薇の樹たちが蕾も抱えているのだけれど、これは枝を切り詰めるのが先か花を咲かすのが先かどっちなんだろうと少し悩んでいる。どうすべきか。せっかくついてくれた蕾をむざむざと切り捨ててしまうのは忍びなく、かといって病葉をこれ以上拡げたくないというのも本音で。悩ましい。
このところ私の周りの友人らの具合が悪い。そういう季節なのだなと思う。毎年冬になると誰かがオーバードーズしたり飛んだりする。そういう私も、すでに記念日反応が始まっている。離人感が酷くなっている。 でも、私はもうそうやって何年も何十年も過ごしてきたから、「ああまたそういう季節だな」で受け容れることもだいぶできるようになった、気がする。不思議だ。自分の状態を拒絶するのでなく、認めて受け容れるとそれだけでとても楽になる。自分を大嫌いにならなくても済む。 「こんな自分なんて!」と、どれほど拒絶したって抗ったって、自分を生きるしかないのが私たち人間。それをもうちょっと別の角度で言えば、自分を生きることができるのは自分しかいない、ということ。自分以外を生きることはできないとネガティブに捉えるのか、自分を生きることができるのはこの自分をおいて他にないとポジティブに捉えるのかで、まったく色が変わってくる。 人間の眼なんて、あてにならないなあとだから思う。色眼鏡、という言葉があるけれども、ひとの眼は常にそれだと思っておいた方がいいんじゃないかと思う。自分はきっと今色眼鏡で見ている、だからちょっと距離を置いて見直してみようと思えるかどうか、は、大きな違い。
PTSDが最もひどかった頃。一挙手一投足、一言一句、忘れることができなくて、苦しかった。他人から見たらどうでもいい些末事でも、同じ深度で刻み込まれるから、どれもこれもが際立ってしまって、つまり、どうでもいい事柄が何一つなくて、どれもこれもに目配りしていなければいけなくて。要するに、適当に流すということなんてとてもじゃないができない状態だった。何もかも、そう、今呼吸するその呼吸ひとつさえもが、重大事みたいな。そういう状態だった。 だから、そうじゃないひとたちの状態が分からなかった。許せなかった。許容できなかった。どうしてみんなこうなの?!どうしてみんな?!と、いつも震えていた。今思うとそういう自分こそが恐ろしいのだけれども、当時はそれが分からなかった。 解離性障害の、健忘が現れ出して、そうしてようやく、私は立ち止まることができた。忘れることは才能だと、忘れられるというのはとてつもない才能なのだと思っていた私は、忘れることしかできなくなってはじめて、覚えていられることがどういうことだったのかを知った。 みんなそういうものなんだろう、失ってみてはじめて、あ、と思うのだ。 |
|