2022年12月22日(木) |
新しい年がもうじきやってくる。一年の何と早いことか。きっと来年はもっと早く時が過ぎるように感じるんじゃなかろうか、歳の分だけ。でもまぁ、それもよし、というところ。
顧みると。 写真を始めて間もなく自分の写真の中に「ヒトガタ」が欲しいと思い始め、それは今も変わらずあるなぁ、と。私の言うヒトガタは、別の言葉で言うなら「お化け」のような、「気配」のようなもの。版画家の清宮質文先生がよく言ってらした、絵の中にお化けがほしい、と、その言葉そのまま、真似たいくらい。そのくらい、私は自分の画の中に「ヒトガタ」が欲しい。そう思い続けている。時々その兆しのようなものは写真の中に現れてくれたりするからなおさら諦められなくて今日に至る。きっと死ぬ迄、追い続けるのだろうなと、最近よく思う。
家人が冬至だから南瓜料理と煩いのでじゃあ南瓜を買ってきてと言ったら、その値段に吃驚して買わずに帰って来た。「なんでこんな高いの?」「冬至という時期だからでしょ」。それを知らないままこの歳まで来ている君は平和だなぁとつい思ってしまった。自分で買い出しをしないまま大人になったのだろう家人ゆえの出来事。そして、南瓜は買えなかったけど柚子湯用の柚子は安かったから買ってきた、と自慢げに見せる家人であった。 そうして無事柚子湯に浸かった息子と家人。今夜もワンコとみんなでぐーかー鼾をかいて寝ている。
佐賀のMさんが入院した。どんどんと誰かが窓を叩くんだ、だから家の周りを見回りしてきてほしいと繰り返し言っていたのを思い出す。私はもうその時点で、ああ幻聴だろうなあと思い巡らしていた。私にもかつて、PTSD症状の酷い時期、幻聴幻覚に苦しんだ時期があったからだ。 Mさんは酷く怖がっていた。呼び鈴が鳴るとカッターを隠し持って出るという具合だった。もし奴らだったらこれで怪我を負わせてやるんだ、と言っていた。 今日昼過ぎ、恐らく訪問看護の担当が来たのだろう、幻聴が見られるからということで緊急入院の処置がとられた。Kさんはそれを知って、病院で酷い目に遭わなければいいのだけれどと心配している。 私は。たぶん、その、入院中の出来事も彼女の被害妄想の部分がとても大きいんじゃないかと想像している。Kさんとはずいぶん違う見方といえばもうそれまでなのだが、でも、幻聴幻覚の酷い時期、というのは、全ての出来事に過敏に反応してしまうし、何もかもが敵のように思えてならないという経験を自分もしたから、だ。 そして思う。Mさんにとっては、あの日々あの体験は今もまだ、血が噴き出し続け、生のままなのだな、と。彼女が被害を被害として思い出してからもう一体何年が経ったか。少なくとも二十年は経っている。それでも生のままというのは、彼女の心をケアする医者もカウンセラーも彼女のそばにいなかったから、だ。私はたまたま医者とカウンセラーに恵まれた。それだけの違い。
ワンコと散歩している最中、すれ違いざまに「俺、犬嫌いなんだよね」と声に出して言う少年がいた。ランドセルを背負い、学期末ならではの大荷物で帰ってゆくところで。私はそうかぁと思いながら彼の背中を見送った。うちのワンコはラブラドール・レトリーバーで大きさもそれなりの大きさだから、子どもから見たら大きな犬イコール怖いになりがちだ。仕方がない。それにしても、「嫌い」と飼い主である私の隣でわざわざ声に出す少年に、一体過去何があったんだろうなあと、思わずあれこれ想像してしまった。いつか犬といい思い出が作れるといいね、少年よ。
宿根菫が次々咲き乱れているベランダ。クリサンセマムやビオラもまた、次々花開いている。薔薇の葉がちょっと具合が悪くて、何本かうどん粉病が。薬をできるだけ撒きたくないのでせっせと病葉を摘んでいるのだが、それでも次々病葉が現れる。まるで鬼ごっこ。 ラナンキュラスとチューリップ、ムスカリ、息子のトマトは順調だ。種から育った息子のミニトマト、冬を越せるのだろうかと心配していたのだが、今のところ実もしっかり育ってきていて頼もしい。こんなにトマトが強いものだとは知らなかった。 雨が降った今朝、そのおかげで空気が澄んでいる。夜闇がすっと透き通っている。静かな夜だ。そしてじき、朝がやって来る。 |
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