2022年12月20日(火) |
慌ただしく時間は飛び去って行く。私はその時間と共に走り続けている。でもまるっきり覚えていられない。時は飛び去る時きっと、私の記憶も持ち去っているに違いない、と、そんな馬鹿なことを考えてしまうくらいに、まるっきり記憶が残らない。私の脳味噌はきっと、皺を刻むことをやめてしまったんだ。そうに違いない。 記憶できていないということはそのまま、常時解離しているということを私に思い出させる。確かに常に自分の背後から、自分の背中を含めた像を見ている気がする。でもそれも、気がするだけで、次から次に消え去って行くからあてにならない。ただ、何処か自分が自分から切り離されていることだけは、常に感じる。 それが自分の当たり前、と思ってしまえばもうそれまでなのだが。他人と比べても仕方ないと思ってはいても、こういう時は比べてしまう、他の人は一体どんなふうに生きているのだろう、と不思議に思えてしまう。
性暴力のニュースが巷に溢れる。こんな日が来るなんて、被害に遭った当時の私は想像しただろうか。想像もしなかった。1995年から今日まで、たいして時は経っていないように感じられてしまうのは私の時計が狂っているからに違いない。それは承知している。それでも。 なかったことにはしたくない、と声を上げる被害者たち。ニュースでちらりとその言葉を聞くたび、私は自分を顧みずにはいられなくなる。 なかったことにだけはしたくない、という思い。私自身その思いが原動力だった。それがなければとうの昔に別の生き方を選んでいたに違いない。どうしてもそこだけは譲れなくて、そうして気づいたらここまで来た気がする。誰にでも、譲れないものはある。誰が何と言おうと。 譲れないもの。護るべきもの。他の誰に侵されようと、それだけは譲れないものがあっていい。他の誰に穢され、それがどれほどずたぼろになろうと、死ぬ迄手放さず護り通すものがあったっていい。それが他人から見たらこれっぽっちの代物だったとしても。私にとってそれは、大切な大切な、大切なものだということ。―――今ならこうやって言葉にも還元できるけれど、それまでに一体何年かかったことか。想像するだけでぼおっとしてきてしまう。 二十五年以上の歳月が、私と、被害に遭った時の私の間には横たわっているはずで。四半世紀を越えているにもかかわらず、私にはそうは感じられない。ちょっと油断すれば、たちどころに時が巻き戻ってしまう。 それはPTSDの症状のひとつだよ、と頭では分かってはいる。分かってはいるのだけれど、受け容れ難い。その一言に尽きる。 私にとっていつだって、ひとっとびで当時に舞い戻れてしまうこと。それが私の普通で、当たり前で。でもそれは他人とは共有できないこと。
今季初のジャム作り。何となく思い立って林檎ジャムを作り始めている。シナモンと檸檬をたっぷり入れて。砂糖はほぼ使わない。ことこと、ことこと、ゆっくりゆっくり、たっぷりたっぷり、火にかけて。 美味しくできあがりますように。 |
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