2022年11月14日(月) |
にょきにょき、にょきにょきと球根から芽が伸びて来る。そんなに急いで何処へ行く、と思わず歌い出したくなる様。私はにまにましながら芽をそっと撫でては水を遣る。薔薇は薔薇でここぞとばかりに次々花を咲かせてくれている。でもここ数日ずっと風が強い。そのお陰で葉がぼろぼろになってきてしまっている。互いに傷つけ合ったり、自らの棘で自分の葉を傷めたり。こればっかりは、この丘の上に住んでいるという環境ゆえどうしようもない。ごめんね、と呟きながら葉を指で撫でる。 感謝という名の白薔薇がこの春からベランダの片隅に居てくれているのだけれど、この子、パスカリともホワイトクリスマスとも全く違う白を見せてくれる。蕾の形も綻び方も異なる。この花に感謝という名をつけたのは何故なんだろう。花を眺めているとつい考え込んでしまう。そのくらい、違う。白と一言に言っても、ひとつひとつその白が異なる。クリームがかった白もあれば青味がかった白も。感謝の白はまさに真っ白に私には感じられる。まっさらな、という言葉が最も似合う。感謝という言葉をそこに位置付けたのは何故なんだろうって、ずっと考えている。そして、美しい。感謝が美しいと考えたことは私にはなかった。むしろあたたかくさりげなくやわらかいイメージだった。でもこの花はそのどれとも異なる。色もそうだし蕾の姿とその綻び方もまた独特で、私はつい見入ってしまう。そしてこの香。改めて、感謝という言葉について、私は考えこんでいる。
週末、S君の舞台を息子や友人らと観に行った。ひとり芝居。当たり前だがひとりで演じ切る90分。そのエネルギーは決して緩むことなく最後まで貫かれていて、だからこそ観る者すべてを魅了する。彼の熱量がそのままこちらに伝染してくる。だから、観終わった後、元気になれてしまう。 すごいなぁと思う。この熱量。それを三日間ぶっ通しで為す彼のパワー、心のパワーたるや。もう考えただけで呆然としてしまう。もう尊敬の念しかない。 もちろん細かいことを言い出したらキリがない。でも、そんな細かいことをすべて帳消しにする熱量なのだ。 息子が気に入ったシーンと私が気に入った場とがそれぞれ違っていて、それもまた面白かった。息子が絵を描いてくれたのだが、今度それをSくんとKくんに渡そうと思う。
今日は施設でアートセラピー講師の日。セルフポートレートを入れてのフォトコラージュ。私は写真を手でちぎっていいよ、と言うのだが、みんな律義に鋏できれいに切ってゆく。ちぎるひとは誰一人いないのが逆に面白い。彼らの真面目さ律義さが顕著に表れている。コラージュに慣れて来たひとたちの作品からは、どんどんそのひととなりが表れ出てくるようになってきている。そもそもセルフポートレートの撮り方が個性的だ。私は今回桜の葉を押し花にして持って行ったのだが、Dくんはそれを自分のポートレートの目の部分を隠すのに使った。「飲んでる時僕が見えている世界をモノクロ写真で現わして、だからダブってたり倒れてたりするんだけど、シラフの時はカラーで、くっきりきれいに見えてて、だからきれいな花の写真にした。飲んでる時の目は見られたもんじゃないから、これで隠してみた」と語っていた。 もちろん、頑なに作業を拒絶するひともいたりする。どうでもいい、早く時間過ぎてくれ、とばかりに座しているひともいる。でもそれもまたアリなのだと思う。
明日は明日で、S先生と次回プログラムの打ち合わせの日。もう準備万端、と言いたいのだけれどとんでもない、その逆。とりあえずの準備はしたけれど、ぜんぜん自分自身読み込めてないし自分の内に落し込めてない。これからしっかり向き合って読み込んで落し込んでから打ち合わせに向かいたいとは思っているのだけれど、はてさてどうなることやら。
家人がパリにでかけてもう一週間か。早い。 |
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