ささやかな日々

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2022年10月25日(火) 
「「犯罪者は表舞台から排除して日陰者にする」これが社会のルール。」
という書き込みを、SNSで見つけてからというもの、どんより悶々としている。

強制わいせつ未遂容疑でとある有名作曲家が逮捕された、というニュースに対して書かれたその言葉。私が感じたことよりもずっと多くの思いや考えがそこに込められているのかもしれないが、私には酷く排他的な代物にしか見えなくて、正直戸惑った。
犯罪者は表舞台から排除して日陰者にする。日陰者?排除?

私は常々思っていることだが、誰もが被害者にも加害者にもなり得るのがこの今の社会だ、と、そう思っている。一歩間違えば誰しもが被害者に、そして加害者になり得る。生涯被害者にも加害者にもまったくならずに済む人間など何処にもいない、と。
そんな私からこの言葉を読むと、「自分は決して犯罪者にはならない」としか読めない。それはあまりに傲慢じゃあないのか?
もしあなたが、大切な大切な愛するひとを誰かに殺されたり犯されたりしたら、あなたはその誰かを決して傷つけたり殺したりしないでいられるのか?一度もそんなこと思わず乗り越えられるのか? たとえば車を運転していて突然子供が飛び出して来たら?あなたは事故を起こさず誰も傷つけず回避できるのか?
あまりの出来事、突然の出来事によって、或る日唐突に被害者に、或いは加害者になってしまうかもしれない。それが、私たちの生きている世界なのだ。
なのに「やり直しを赦さない」という、どこまでも「排除」しようとするひとびと。
こんな怖ろしいことは、ない。

一度失敗したら、一度道から外れたら、排除されなければならないのか? この言葉にあるような「日陰者」であり続けねばならないのか?

私は、そんな窮屈で寂しい偏った社会を、自分の子どもたちに手渡したくはない。もっと寛容で、そう、誰にでも何度でもやり直しのきく社会をこそ、繋いでゆきたい。
だから、抗ってしまう。どうあってもこういう考えには抗ってしまう。

もちろん、罪を犯したら、その罪を償う。それは為されるべきことだ。自分の犯した罪を背負うことは、当然のこと、だ。
そのうえで、やり直しがきちんときく世界、社会であってほしい。

加害者にも被害者にも、やり直しが厳しいのが今の社会なんじゃないかと私は思っている。どうしてこんな社会になってしまったんだろうなぁと途方に暮れることもある。少なくとも、どうして被害者がこんなにも追いやられる社会なのだろうなぁ。自分が被害者にならなければ、恐らく私はそういう現実を知らなかったに違いない。そのくらい、実際被害者になってみると社会がどれほど厳しくて冷たくて、排他的だかを痛感させられるのだ。
被害者のやり直しを阻むような社会、足を引っ張るような社会。それは、おかしい。

そして、やり直そうとしている加害者を追いやる社会はつまり、その者を孤立させ再び罪を犯さなければいられなくなるように追いつめてしまうような社会は、あってはならない、と私は思う。

もし自分がそこに立ったら。もし自分がその場所で生きなければならなくなったら。そのことを今一度想像してみてほしい。
私たちのこの隔たりに橋を架け得るのは唯一、私たちがもつ想像力のみ、なのだから。


浅岡忍 HOMEMAIL

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