2022年10月17日(月) |
展示が無事終わった。終えることができた。そのことにただ、感謝する。 その間にあまりにいろいろなことがあって、ずいぶんと私は混乱した。どうしてこんなことに?と思うこともあった。でも、起こってしまったことを変えることなど私にはできない。ただ受け容れるだけ。受け容れたうえで、じゃあ今私はどうしたいのか、どうするのか、と、問い続けること。行動し続けること。それが、今私にできる、こと。
どれほど唇を噛んでも、どれほど歯軋りしても、どうしようもないことがある。他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と今(未来)のみ、と、こういう時特に自分に言い聞かす。繰り返し繰り返し繰り返し、言い聞かす。そうして、ひとつ呼吸する。 私は留まってはいられない。
家人が言う。記憶は上塗りされているんだろうよ、と。 実際あったこと、とはどんどん違っていくだろうよ、時を重ねるほどに、と。 本当にそうだなと思う。なるほどなぁと思う。
私の記憶はそもそもが欠けている。でも、本当はそこにあったはずのことたちがたくさんあるに違いない。月、みたいだな、と思った。実際の月のカタチと、私たちに見える月のカタチとは異なる。記憶も、そういうものなのかもしれない。
そのひとたちの記憶のカタチを問い詰めても、どうしようもない。だってもう、そのひとたちにとってはそうしかあり得ないのだろうから。それを私が変えることはできない。
できるのは。 私が留まらず、行動し続けることのみ。行動し続けて、歩み続けること、のみ。そう、思う。
―――そう心に刻むまでに、何度も揺り戻しがあったし、もう消えてしまいたいと思う時間もあった。ああもうすべてを放棄してしまいたい、消えてなくなってしまいたい、と。 でも、私が消えてなくなったからって、何も変わらない。私がここにいたことを憶えていてくれる友人たちがいてしまう。その友人たちから、私に関するすべての記憶を消去できないかぎり、私はここから消えてなくなることはできないのだ。本当の意味で。
とにかく。 生きよう。生きて在ろう。そこからしか、はじまらない。 |
|