2022年10月02日(日) |
弟と久しぶりに会う。 話しながら、何となく、学生時代の頃を思い出す。私が大学、彼が高校あたりから、私たちは夜中過ぎになると私の部屋で延々おしゃべりをしていた。何か話したいことがあったとか話すべきことがあったとか、そういう訳じゃない。でも私たちは何となく顔をあわせ互いを確認した。ちょうどふたりとも、機能不全家族というものについて悶々としていた頃だった。 自分たちの「家」がふつうじゃないこと、周囲からこうと見做されているモノと私たちの現実との相違、ただここで生きているそれだけでも何故自分たちはこうも必死にならなければいられないのか。 私と弟の置かれた環境もまた、それぞれあって、それぞれがそれぞれでしか経験できない体験を重ねてきていた。それが重くて苦しくて、もう私たちは共に喘いでいた。だからこそ、のあの時間だったんだと思う。 弟がぼそり、苦笑いしながら言う。落ちこぼれだよな、姉貴も俺も。あの家にあって共に落ちこぼれ。 その言葉がすべてを表している気がした。私達は、あの「家」に圧し潰されてしまった。あの重圧を跳ね返せなかった。それが今この時を形作っている。
異様な「家」だった。 外と内とがこんなにもかけ離れているものなのか、と愕然とするほど、異なる「家」だった。 そのあまりの違いによって生まれる深淵に、私も弟も、呆然とし、そして圧倒されるほどだった。最初は戸惑い、やがて私は諦め、弟は怒り、家の中は荒れた。荒涼とする食卓ほど、心を荒すものは、ない。食べ物は栄養として身体に取り込まれるのではなく、ただ空洞を埋める為に取り込まれるだけの代物だった。
あの時期、もし話もできなかったら。私達はきっと、生きることに迷子になっていたに違いない。
私は娘を「戦友」と呼ぶ。でも、最初の私の戦友は、弟だ。あの「家」を共に生き延びるのに必要不可欠な、戦友・伴侶だった。
今日、久しぶりに会った弟はぼろぼろで、疲れ切っていた。こんな穏やかな午後に会ってしまうのは申し訳なくなるくらいに疲弊していた。私が事前に作っておいたおにぎりも果物も、彼は受け取らなかった。今喰ったら吐くだけだから、と。そして私が淹れた珈琲だけ、おかわりして帰って行った。
夜、LINEに「今日はありがとう」と入れると、弟からすぐ「たまに会って話すの、いいな」と返って来た。「俺がいつまで生きてられるかわからんからな」とも。「私より三年後に生まれているのだからその分ちゃんと私より長生きしてちょうだい」と返す。 今は生きる目標がないと弟が言う。それが痛いほど分かってしまうから私は何も返せない。
月が。きれいだ。 |
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