2022年09月30日(金) |
夜明け。地平線に横たわっていた厚い雲たちが気づけば散り散りになっていた。日の出もずいぶん遅くなったな、と思いながらベランダに立つ。静かに静かに太陽は地平線を割って顔を出した。沈黙が世界を覆う。その一瞬に、ぶるり、身が引き締まる。
日記帳をごっそり捨てた。十代の頃から三十になるまでずっとつけ続けていた日記。丁寧に書かれた文字もあれば書き殴られた文字も。すべて手書きの日記帳山ほど。大きな紙袋五つに何とか収まったけれど、それらすべて、ゴミに出した。 幼い頃の賞状やらピアノの発表会のプログラムが日記帳に挟まっていた。それらのほとんども含めて、とにかく紙袋に詰め込んでいった。ずっしり重たい紙袋は、はちきれんばかりだった。
ずっと捨てられなかった。 PTSDと解離性障害と共に生きるようになって、特に解離性健忘が酷くなってからというもの、覚えていられることなんてこれっぽっちもないんだと痛感する日々。それがどれだけ過去のものであろうと、そこに自分がいたことの証を捨て去るのは、耐えられなかった。怖かった。それらを捨ててしまったらもう、自分は戻れる場所がなくなってしまうんじゃないかとさえ思えて。 でも。 これを持っていたからとて、じゃあ私の立つべき場所は何処なのかと問い直してみれば、応えられない自分が、いた。 ああもう、捨て去る時期なのだ、と悟った。これらを引きずってずっとこの先も歩き続けることはできそうになかった。 日記帳の中には当たり前だが、被害に遭った前後も、その直後の日記も含まれていた。それらを捨てるのはさらに怖かった。自分の証を自ら捨て去るのは。 それでも。今ここで捨てなければもう手放すことはできそうになかった。
写真もいっそすべて捨ててしまおうか、一緒に、とも思ったのだが。そこまではさすがに思い切れなかった。写真の幾つかは、本棚にそっとしまった。もうちょっとここに置いておいて、その時期がきたらまとめて捨てよう、と自分に言い聞かせた。 その中には、TTが撮ってくれた写真たちもあった。それを見て改めて、自分が何を為したかったのかを悟った。あの当時無意識に行為していたことも、今改めて見れば、おのずと答えがそこにあったりする。不思議なものだ。
LAにいた頃の写真も出て来た。KY氏のカメラを借りて撮ったものたち。私はLAの日々をほぼ覚えていないけれど、こんな時間もあったのだな、と、ぱらぱら眺めながら思った。 写真は、そうやって、私が覚えていないことも記録し証す。
明日、搬入設営だ。何か忘れ物があるんじゃないか、と思うのだが、もう分からない。分からないから、もう開き直ることにする。 |
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