2022年09月26日(月) |
夜になるとぐんと風の温度が下がるのが分かる。涼やかな風が虫の根と共に窓から滑り込んでくる。ほっとする時間。
昔こんなタイトルの詩を書いた。「きんぴらと墜落機と沈没船と 君と私と」。こんな長いタイトルの詩を書いたのはこの時きりだ。でも、書かずにはいられなかった。 何故か今夜は、その詩のことを繰り返し思い出す。
あまり報道されない静岡の有様。どうしてこんなに報道が少ないのだろう? 不思議でならない。それをよしとしているひとたちが多くいるということなのか? 本当にそうなのか? そんな世界なのか、そんな社会なのか、今私の住む国は。場所は。 頭が痛くなる。
後期高齢者である父母が、医療費の負担が大きくなって悩んでいる。ふたりとも病気持ちだ。かといって私に今、彼彼女を援助できるような余力もなく。 近くの大事なひとさえ助けられない自分に、ぎりぎりと唇を噛む夜。
「きんぴらと墜落機と沈没船と 君と私と」
海の向こう 何処かの街で 飛行機が落ちたらしい テーブル越し テレビが映し出す 無残な墜落機残骸の映像が 作りたての食卓に 映り込む
この同じ空の下 何処かの海で 客船が沈んだらしい 先ほどの飛行機事故に続いて滑らかに アナウンサーがニュースを読み上げる もはや船体の名残さえ とどめていない海原を背景に 中継リポーターが繰り返す、 乗客名簿に日本人の名前はありません
日本人の名前はありません 墜落した飛行機にも 沈没した客船にも 日本人の名前はありません 繰り返し繰り返し電波に乗って 伝えられる音声 テレビという箱の中
今
君が きんぴらに箸を伸ばした テーブルの中央に置いた小皿の 中
日本人の名前がなければそれは もう遠い知らない国の話で 日本人の名前がなければそれでもう どれほど大勢が死んでゆこうと 一日に何千も何百も起きる事故の 所詮は一つにしか過ぎず
明日になれば忘れてる
ってか? いや、
聴いている傍から 鼓膜にひっかかることもなく 通り抜けてゆくってか?
君の耳を 君の鼓膜を
本当に
そこに 君の知る名前はなかったか 君の愛する誰かの名前はなかったか 君が憎んで止まない誰かの名前は なかったか 墜落機の乗客の中に 沈没船の乗客の中に
本当に 君の知る誰かの名前が 君の愛する誰かの名前がなかったか いずれ君が 愛するはずだったろう誰かの名前が いずれ君が 憎むはずだったろう誰かの名前が いずれ君が 出会うはずだったろう誰かの 名前がそこになかったと 今誰が 言える
テレビニュースはもう、とある政治家の 陳腐な発言を巡る話題へと移行し、 君はといえばまさに テレビの中のアナウンサーよろしく 私の作ったきんぴらを かりかりと 食んでいる 墜落したという飛行機の残骸も 船が沈没したという海原も映り込んだ きんぴらを 食む君の唇は今 無言だ
私は飛べない だからもし 乗っている飛行機が空中で爆発なんかしたら 飛行機と一緒に空中で分解し まっさかさまに海へ墜落するだろう、そして 何処にでも在る 海の藻屑と 化すんだろう
その時
私の名前は 君のリストの中にあるだろうか こうしてきんぴらを食んでいる最中でも せめて顔を上げるくらいの 位置に私は いるんだろうか それとも
私の作ったきんぴらを食む 君の唇は今 無言だ |
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