ささやかな日々

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2022年09月19日(月) 
息子とサイクリングがてら娘宅へ。孫娘が出迎えてくれる。長かった髪の毛をぱつんと肩上で切り揃えた様は、とっても似合っていて可愛かった。でも息子にはそれが不思議に映ったらしい。「Rちゃん変だよ、変だよ!」と言い過ぎて孫娘を怒らせてしまう。女心がまったくわかっていない我が息子に苦笑しか出てこない。
孫娘が居る、と言うと「可愛くてしょうがないでしょう!」と必ず言われる。いや、可愛いけれども、もしかしたら君たちの言うそれとは違うかもしれない、といつも思う。
確かに孫娘は可愛い。でも、私は今、現在進行形でまだ子育て中だったりする。だから娘とは今やママ友みたいな間柄だ。仲の良いママ友の子ども、みたいな、そういう位置に、私の孫娘は今居る。
まだうまい言葉が見つからないのだが、だから、何をしても可愛いとか何をしても許せちゃうとか、何を優先しても孫、みたいな、そういう具合にはならない。これがもし私がもう子育てをすっかり終えて、一段落していたならば。また違うのだろうなと思ってみたりもするのだが、現実違うのだからしょうがない。息子のすぐ下の可愛い妹、みたいな。私にとって孫娘は、そういう可愛さ。あくまで娘の子ども、であって、それ以上でも以下でもない。不思議な存在。
たしかに。私は、孫娘の中に娘の面影を見つけては、一瞬ドキドキしたりほっくりしたりしている。もう記憶の彼方に埋もれていた微かな欠片が、そんな時突然見つかったりして、あ、こんな場面あった、こんなシーンがあった、と、懐かしくなる。
しかし、だ。目の前で息子と孫娘が喧嘩をおっぱじめたりすれば、そっちにかまけなければならない現実があり。感傷に浸っている暇も、現実、ない。
なかなか微妙な間柄、である。

台風が来ているという今日は、土砂降りの雨がたびたび襲ってきて、その合間を縫って娘宅を往復した。ゆえに路面がぐしょ濡れで、「マンホール滑るから気を付けて!」「ここ滑るから気を付けて!」と後方の息子に怒鳴りながら走り続けた。でも最後の最後、コンビニに寄ろうという時。その入口にあった網々のところで息子が横滑り。慌てて飛んで行くも膝っ小僧を擦りむいた後で。やっちまったぜ、と思ってももはや後の祭り。
自転車もチェーンが外れてしまっており。慌てて修理。こういう作業に慣れてる自分がちょっと笑えるのだけれども、さささっと直して再出発。その間にも一度スコールの様な雨が通り過ぎていった。日本の雨は一体どうしちゃったんだろう、と最近思う。いや、今日は台風だけれども、そうじゃない、ふだんの雨がおかしい。日本語には雨を形容する言葉がたくさんあるけれども、そのどの雨も当てはまらないような、そう、まさしくスコールのような雨が増えて来た。もう日本の雨らしさ、なんて、どこかに消えていってしまったみたいだ。

最近ふとした時に思う。母は祖母似だと思っていたのだが、違う、祖父似なのかな、と。この間古いアルバムから見つけた母と祖父が並んで写っている写真を見つけて、つくづく思った。じゃあ私も祖父似か? 性格は皆が言うように祖母似なのだろうけれども、顔は母、そして元をたどれば祖父なのか?と。
血のつながりとは不思議だな、と思う。その血のつながりにずいぶん苦しんできたけれど、今もそれがないわけではないけれども。遺伝子の連なりの図を頭に思い浮かべながら、うん、実に不思議だ、としみじみ思う夜。


浅岡忍 HOMEMAIL

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