2022年09月14日(水) |
朝焼け。鮮やかなピンク色の光が地平線から伸びてきて、ふわあっと雲を照らす。ピンク色に染まった雲たちが一斉に喋り出す。朝だよ、朝だよ、朝だよ。でもそれは本当に一瞬のことで。あっという間にピンク色は雲の薄灰色に呑み込まれてゆく。 その一瞬を確かめて、そうして私の一日が始まる。
昨夜頭が痛い痛いと半泣きになっていた息子は、たっぷり眠ったおかげなのかけろっとしており。そういえば季節になると彼はこうやって、体調を一度崩すんだよなと思い出す。夏の終わり、冬の初め。でも、しっかりたっぷり眠ると彼はたいてい蘇る。彼の身体にとって睡眠がどれほど大事なものなのかを、そのたび思う。私とは異なる身体なのだよなぁと痛感する。いや、私の身体がちょっとおかしいのかもしれないけれども。 毎日、10月初めから始まる個展の準備を為す。汗だくな状態ではパネルは貼れないからその作業は必ず夜中になるのだけれども、それ以外の、たとえば展示順を考えることだったり、細々した文言の修正だったり、あれやこれや結構あるものなのだ。 11月から家人も別の場所で展示を為すのだけれど。展示時期が重なっているせいなのだろうけれど、私は正直集中できない。彼が同じ作業部屋にいるだけでぴりぴりする。だから彼が部屋にいない時を狙って作業を進めようとするのだけれど、彼はそれに気づいているのかいないのか。少なくとも私の展示はもう目前なのだから頼むよ、と心の中文句を言ってみたりして、何とか気持ちのバランスを保ってはいるけれど。ストレス過多。
日曜日だったか。息子とあれこれ種を植えた。息子はビオラ、私はクリサンセマムとネモフィラ。もうすでに今朝、クリサンセマムが芽を出し始めていた。早い。 それにしても雲はもうすっかり秋だ。季節は駆け足。
クロアゲハの幼虫二匹は、すぐ緑色に脱皮してしまった。その一匹が欲しいというMちゃんとその息子さんにプレゼント。だから今うちにいるのは一匹。ちょっとのんびり屋さんのようで、思ったより成長がゆっくりだ。ふぅんと思いながら眺めているのだが、前の子たちみたいにがしがし葉を喰らうところは一度たりとも見られない。ゆっくりゆっくり、休んでは首を廻して、休んでは葉を食んで、といった感じ。虫にもこんなふうに個別に特徴があるのだよなぁと不思議な気持ちで眺める。
駅前の小さな書店で見つけた文庫本。少しずつ読んでいるのだけれど、これは息子に読ませたいなぁと思ってしまう。夏川草介著「本を守ろうとする猫の話」。梨木香歩さんの「裏庭」に通じるものがあるなぁと思いながら、猫と少年のやりとりを眺めている。この本、息子が読めるような、ふりがな付きの本はないのかしらん。 でも。私が彼の年頃、もう、分からない読み仮名は自分で辞書で調べて読書をしていた。今息子は全然辞書を振り向かない。これは何だろう、もう年代の差なのだろうか? 辞書を調べるより先に学校から配られたipadだったりでささっと調べて終わり、だ。いいのか悪いのか、私にはちっとも分からない。 私の本棚には辞書がずらっと並んでいる。広辞苑から辞林、類語辞典、人名辞典、その他諸々。眠れない夜に適当に辞書を開いて、出窓で丸くなって読むのが私は結構好きだった。辞書のそばにはいつも、だから夜があった。息子にとって辞書は、どんな代物なのだろう。面倒臭い、縁遠い代物、なのだろうか。それをもったいないなぁと思うのは、私がもうオバサンだからなのだろうか。ううむ。
冷たい水が飲みたくて、コップに氷を二つ入れてみる。入れた瞬間、氷の溶け出す音があたりに響く。じゅわっ、しゅわわわわ、ぷすっ、つつつつつ。氷が水に馴染むと、その溶け出す音は消えてゆく。一瞬だけの、音。 |
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