ささやかな日々

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2022年08月28日(日) 
週末の加害者プログラムで、いきなり挙手をしたとある加害者さんがこう言った。「参加するだけで精一杯なんですよ、被害者のことなんて考えてらんないです、そういう者もいます」と。
ああ、またか、と思ったのが正直なところ。そうやって、ここに出て来る私に反発するひとはこれまでも大勢いた。だから別に、真新しいことでも何でもない。そうですねぇと流す。
でも、心の底で思っている。「あなたが今精一杯なのはそもそも、あなたの問題行動ゆえでしょう。誰のせいでもない、あなた自身のせい。でも私たち被害者はどうか。被害者はこの出来事に何の責任も負っていないのに、毎日毎日生き延びるので精一杯なんですよ」と。あなたの精一杯なんて知ったこっちゃない。むしろ自業自得だろう。それを私にこんなふうに宣わなければならないこと、それ自体が間違ってる、と。
でも、言わない。言ったらそこで、終わるから。対話が終わるから。だから、そこではじっと黙って流す。
私はここに喧嘩をしにきたんじゃない。あなたたちと対話をしにきたのだ、という思いを改めてぎゅっと心の中握り締める。そして、今日のテーマを語り出す。

語り乍ら、時折先程の彼の顔を私は見ていた。彼だけのことじゃない、目の前に被害者と名乗る人間が現れれば、加害者は誰だって恐らく、反発するに違いない。どうしてこんなところに被害者が来るのか、と。でも。そんな反発は、もう、承知の上なのだ。
被害者と加害者。片方だけがいくら頑張っても、どうにも変わっていかない社会なら、ここに橋を架ける方がいいじゃないか。少しでも互いを知り、現実を知り、できることをそれぞれに為す。そうしなければもう、社会はどうにもならないところに来ているんじゃないのか。

最近出所してきたというひとりが、教えてくれた。刑務所内でプログラムを受けた後、受講生たちに彼は呼びかけたのだそうだ。こんなクリニックがあるらしい、一緒に行かないか、一緒に通わないか、と。でも、みなに「自分は病気じゃないから」と鼻であしらわれたそうだ。結局クリニックに繋がったのは彼のみ。
その彼が言う。「情報が少なすぎる」と。こんなクリニックがあることも、こういう症状が病気だということも、みな知らない。だから、出所後こういうところに繋がろうなんてそもそも思いもつかない。考えもしない。と。
また、クリニックに通っていて或る程度症状が落ち着くと通わなくなってくるひとたちも多い。結果孤立し再犯し、ぐるっとまわってここに再び戻って来るひとは結構多い。自分はもう治った、病気なんかじゃない、と思って病院から離れたけれども、結局再犯し、もうだめだ、と思いここに戻って来る。
ふと思う。被害者も似通ったところがあるな、と。被害に遭う前は、自分が被害者になるなんて想像もしていないから、こういう被害に遭った時に通うべき病院があるなんて思ってもみない。そういう情報に繋がらない。だから知らない。そして実際に被害に遭ってしまっても「自分は大丈夫、病気なんかじゃない、きっと大丈夫」なんて自分を叱咤激励し日々を息切れしながら生きるひとは結構いるに違いない。私もそうだった。私が病院に実際に繋がるのに、一年かかった。
また、多少症状が良くなると、もう大丈夫、自分は病人なんかじゃない、もう普通に生きられる、と、病院から逃げ出すひともまた多いのではないだろうか。私もそういう時期があった。病院から逃げ出した時期が。でも、PTSDや解離なんて、そんな簡単に治るものではなく。病院から逃げ出してしばらくして思い知るのだ、自分はちっとも治ってなんていなかった、と。絶望するのだ。そして再び病院に戻って来る。戻らざるを得ないところに至る。
何だろうこの相似。

被害者も加害者も。孤立してはだめだ。絶対に。孤立させてはだめだ。被害者は下手すれば死んでしまうかもしれない。加害者は容易に再犯してしまうかもしれない。
ひとと繋がっていること。大事だ。それが命綱になる。ぎりぎりのところで思いとどまることが、その繋がりによって可能になったりする。

先程挙手し憤りをぶつけてきた加害者さんは、もうその日はそれ以上何も言わなかった。私も敢えて返さなかった。淡々と、テーマについての対話を進めた。
いつか、彼に伝わるといい。何故対話なのか。何故私がここにいるのか。被害当事者が何故、こんなところにしゃしゃり出てきているのか。

私たちは、互いの被害後、加害後を、もっと知るべきだ。少なくとも加害者は、自分の加害行為のその後、被害者のその後を、しかと知るべきだ。その後を知り、知った上で、自分の「責任」を果たしてほしい。
加害者がいくら被害者を忘れても棚上げしても。被害者は決して加害者やその被害を忘れられない。忘れない。


浅岡忍 HOMEMAIL

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