ささやかな日々

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2022年08月25日(木) 
息子がトマトの種をほじくり出して土に埋めたのが半月ほど前のこと。わっさわっさと芽が出て来た。こんな簡単に芽って出るものなのか、と、吃驚している。
今、我が家のベランダの端っこには、このトマトの芽と、葡萄の蔓、蜜柑や檸檬の樹の芽で実に賑やかだ。種を蒔いたのは確かに私と息子だが、こんなすんなり次から次にみんな芽を出してくるとは思いもよらないことだった。このわさわさ出て来た芽たちを、一体ここからどうしよう。ベランダがすっかり埋まってしまいそうだ。驚いているけれど、同時にちょっと、嬉しくもある。こんな世の中にあっても、ちゃんと命が息づいていることが間近に感じられて、それは嬉しい。

* * *

被害者にとっても加害者にとっても、やり直しができない、しづらい社会って、怖いってつくづく思う。過去にあった加害行為、それを被害女性に何の断りもなしに暴露して、大騒ぎする世間の有様って、これ立派なセカンドレイプなんじゃないのかって私などは思ってしまう。被害女性が訴え出たのとは訳が違う。自分の身の上に起きた出来事を、断りなしに曝露されたら、どれほどの恐怖だろう、と想像するのは私がおかしいのか?

宗教の問題にしろ政治の問題にしろ、そしてこういった性の問題にしろ、何だか最近、何か変、と感じる。かぎかっこ付の「正義」が巷を闊歩しているようにしか見えない。恐ろしい。そう感じずにはいられない。

今の社会、加害者にとってだけじゃない、被害者にとってもその後がとても生きづらい。このままじゃ、被害者も加害者も両方が、その後を生き直すことができなくなってしまうんじゃないかと思える。
私が被害に遭ってもう二十何年経つのに、いまだ社会がそういうところにいるのは本当に恐ろしいなと思う。少なくとも私は、自分の後に生きる人たちに、こんな生きづらい社会遺していきたくない。


浅岡忍 HOMEMAIL

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