ささやかな日々

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2022年03月23日(水) 
乾いた土にたっぷり水を遣る。薔薇の樹の根元に陣取って咲くクリサンセマム、アブラムシがびっしり。だから今朝も丁寧に花の首を指の腹でなぞる。ぷちぷちっと指の腹に伝わるアブラムシが潰れる音。実際に聴こえるわけではなくて指の腹に伝わって来る直接の音。確かめながらなお花の首を指の腹で挟んでなぞる。
宿根菫はもう種を膨らませ始めた子もいて、この種をちゃんと収穫しないとなと自分に言い聞かす。つ忘れて、種を弾かせてしまうことが続いてる。今度こそ収穫しないと。母から譲り受けた種を蒔いて育てたビオラ、二輪目が咲いた。同じ紫のグラデーション。花弁がちらちらと、でも鮮やかに緑の中で揺れる。

加害者プログラムのデータが届く。まずさっと目を通す。その時点で気になるものには付箋を貼る。二度目目を通す時にはちょっと時間をたっぷりとって、一文字一文字辿る。泳いでいる字、くっきりと描かれた字、力のこもりすぎた字、様々だ。でもその一文字一文字を辿ると、文言の背後に横たわる相手の背景や想いが伝わってきたりする。
どうにもこうにもこれはちょっとと思うものがあり、S先生と連絡を取る。そうしてそれを書いたTさんの、私の知らない現状や背景を教えてもらう。なるほど、今そういう状況なのかということを知ると、ここに殴り書きされた怒りにも納得がいく。そんなふうに、一枚一枚、自分の内で消化してゆく。
デジタルタトゥーという言葉をそこで初めて知る。性犯罪加害者にとってのデジタルタトゥー。それは他のものと比べ物にならないほど強烈なものであるに違いないと想像はつく。そもそもそれを為した、犯した本人が悪いのだと言ってしまえばそうであることに間違いはなく、そうだねとしか言いようがないのだけれど、そこから一歩一歩踏み出して、歩き出して、もう二度と再犯するものか、被害者を生むものか、と努めて噛みしめている者にとってそれは、ただの足枷でしかない。彼らの、地域への再統合を阻む最大の要因なのかもしれないと改めて思う。
地域に再統合できなければ、孤立し、再び罪を犯す可能性は高まる。この悪循環。
とそう思って同時に、被害者にもそれは言えると思う。一度被害者になってしまうと、どんどんネガティブな方向に転げ落ち、地域への再統合、社会への再統合が困難になる。でもひとは社会に根付いて生きていくしかない。そうであるのに被害者も加害者もそれぞれ、孤立が深まる方向にある現実。一度被害者/加害者になってしまったらもう二度と普通の日常には戻れないのか。そんな理不尽なことってあるか?
やり直しのきかない社会は生きづらい。それは被害者/加害者になったことのない、そんなものとは無縁なところで生きているひとたちにとっても。余白の残されていない社会はそれだけ窮屈であるに違いない。この軋音があちこちで聞かれるような社会を、何とかできないものだろうか。
S先生は、カナダやイギリスでは、そういうところの手当というかフォローの体制が非常に整っているのだそうで。それを実現させているのは一体どういう仕組みなのか。知りたい。

午後、Aちゃんがやって来た。札幌に行くという。サバイバーがともに暮らせる施設があるそうで、そこに入ることに決めたそうだ。この二年ほとんど外に出られないで過ごしていたというAちゃんは、以前とは違ってふっくらしており。「寝て暮らしてたからさ」と苦笑するAちゃんの背後に、まだ悲しみに沈んだ傷ついたもう一人のAちゃんの影が見えるかのようで、私は切ない思いを噛みしめた。
友達は東京にしかいないんだけどね、もう思い切って行くことに決めたの。
Aちゃんの言葉を舌の上で反芻する。そう思いつめるほどのことがこの二年にあったということか。ひとの運命なんてほんと、分かりやしない。一瞬先は闇、という言葉があるけれど、一瞬先は光、と言い換えることってできないだろうか。光があれば影が生まれる。でも影があるということは光もそこにあるということで。仏の掌の上、じたばた転げまわる私たち。
札幌に行く前に、もう一度くらい遊びにおいでよ、と帰りがけ声をかける。平日だったら何処かで何とかなるっしょ!と肩をぽんっと叩きながら私が言うと、「うんうん、平日ならどうにでもなるから、また遊び来るよ!」バスに乗った彼女が車窓から手を振ってくれるのをじっと眺め、軽く振り返す。40にもなってから、大きく動き出そうとするAちゃん。本当は心細くもあるに違いない。私にできるのはただ応援することくらい。信じて応援すること。時々声掛けすること。バスはあっという間に夜闇に消えてゆく。


浅岡忍 HOMEMAIL

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