ささやかな日々

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2022年03月22日(火) 
小雨ぱらつく朝。ベランダにちょこっと出ていつものように定点観測。のったりと空一面を覆う鼠色の雲は、ちょっと面倒くさそうな装いでそこに居た。隙間なく雲に埋め尽くされ、空も少し憂鬱げ。そんな日も、ある。
薔薇のプランターを一回り大きいものにしようと注文したものの、届いてみたら一回りどころじゃなく二回りくらいはゆうに大きいものが届いてしまった。私の計算違いだったんだろうか。正直ぎょっとしてしまう。こんなに大きいプランターどうしろっていうの、と思ったが、もはや返品するのも躊躇われ、腹を括る。ちょうど挿し木した子らが一生懸命新芽を出してくれていることだし、この大きすぎるプランターでちょうどよかったということにしよう、と気を取り直す。

先日失くした定期入れ。咄嗟に電話をした警察署に偶然にも届いていたことを知り、受け取りにゆく。その際、「どこそこに落ちていたみたいですよ」「拾い主は、何の連絡もいりませんとのことでした」と言われ、そんなことまで教えられるものなのかと吃驚する。知らなかった。想像してしまう、「連絡くださいって拾い主が言ってました」ということもあり得るんだろうか。もしそんなこと言われても連絡するのは或る意味怖いぞ、と思ってしまうのは、疑り深過ぎるのだろうか。このご時世、何が起きても怖くない、なところがあるから、下手に連絡なんてできない。この「拾い主は云々」については、言われても困る。そんなことをあれこれ考えこんでしまう正午。
雨がどんどん強くなる中、一駅分を歩いて帰る。片耳にだけヘッドフォンをつけて流しっぱなしにしているウォークマン、全曲ランダム再生にしたら、普段聞き落している曲が幾つも幾つもあることに改めて気づく。学生の頃は、一、二度聴けば歌詞もほぼ覚えることができた。それがどうだ、今では何度聴いても覚えられない。それだけ歳を取った証拠なのだろうけれど、それだけじゃない、適当に聴き流してしまっているところが多分にあるに違いない。昔はそう、一心不乱に音を辿り言葉を辿り、一曲一曲その世界の中に入り込んだものだった。いつからだろう、こんなにぼんやりしか音楽を聴かなくなったのは。もはや適度な耳栓代わりに音楽を用いているようなところがある。
と書いて思い出した。高校時代、A先輩がこんなことを言っていたっけ。ヘッドフォンをいつもしてるんだ、そうするとよほどの用事がないかぎりひとから話しかけられないで済む。でもね、僕実は、学校では音を切ってるんだ。ヘッドフォンは無音なんだよ。だから、誰がどんなことを喋ってるか全部聴こえてる。たとえば僕の陰口とかね。先輩は淡々とそんなことを語った。私は返す言葉が見つからなくて、黙っていた。以来、A先輩がヘッドフォンをしてそこらへんをうろうろしているのを見かけると、あのヘッドフォンは似非なんだ、と逆にじっと観察してしまうようになったんだった。結局、先輩に訊けなかった。「どうしてそんなことするんですか」と。何故だかちょっと、分かる気がしたからだ。音を切ったヘッドフォンで耳を塞いで佇む先輩の背中は、いつもどこか強張っていた。こちらに壁を作ってるみたいだった。きっとよほどしんどい経験をしたことがあったんだろうと私は勝手に想像した。想像して、ひとり勝手に、仲間意識を抱いていたんだった。変に覚えて残ってる記憶のひとつ。
記憶といえば。私は学生時代の記憶がほぼ、欠落している。主治医やカウンセラーは、当時からあなたは解離していたんだろう、と言う。両親からの酷い精神的虐待や恋人からのDV、友人の自殺、もろもろの体験が私には抱えきれなくて、ほぼ常に解離して、生き延びる為解離して過ごしていたんだろう、と。「解離は基本的に、その主を守るために生き延びさせるために機能するものなのよ」。なるほどなぁと思う。でも、それが分かってもやっぱり、記憶がほぼないことは不安というか、頼りなさを、拠り所のなさを覚える。解離しなくても生きられたならどれほどよかったろう、とは思う。もはやそんなこと言っても仕方のないことなのだけれども。

雨は途中、雪に変わり、そしてまた雨に戻った。霧雨になるのを待ってワンコの散歩へ。今日はちょくちょくワンコが私を見上げて来た。何か気になることでもあるの?と話しかけてみたけれど、彼はふんふんと鼻を鳴らすだけだった。今日はちょっと足を延ばして橋のたもとまで。そこで小さな花束を投げ入れる。本当はお墓参りしたかったけれど行けそうにないので、その場でそっと祈る。じいちゃん、私は元気だよ。大丈夫。それだけ心の中で言って目を上げると、電線には鴎がずらり、並んで留まっているのが見えた。この鴎たちもじきに海に帰る。もうそういう季節だ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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