ささやかな日々

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2022年03月24日(木) 
通院日。時間通りに目的の駅へ向かう。珍しく座席が空いていたのでちょこねんと座り、せっかくだからと持っていたプリントを鞄から出して拡げてみる。老眼がいっそう進んだのか、眼鏡なしで読むことが辛い。仕方なく眼鏡も取り出す。
気になる箇所に赤線を引きながら読み進める。結局十か所以上線を引くことになった。時間を置いて今度は赤線を引いた箇所だけを読み直そう。と思ったところで目的の駅に。慌てて飛び降りる。
私が書いていったメモ書きを読んだカウンセラーが言う。まるで明治か大正時代のどこぞの武家みたいね、と言う。何を言ってるんだろうと一瞬ぽかんとしてしまった。畳みかけるようにカウンセラーが言う。煩い舅姑が揃ってて、しかもある程度裕福な武家の家。そう思わない? と。私は頭をフル回転させてカウンセラーの言うところのものを想像してみる。言わんとしていることは分かる気がする。一歩引いてメモ書きを読めば、なるほどそう思えるだろうなとちょっとだけ納得もできる。もっと適当になっていいのよ。カウンセラーがにっと笑う。だってたとえばこれ、家族の機嫌を損ねないように努めなければならない、って、たとえどれだけ努力したってひとは不機嫌にもなるものだし、そもそもそれがあなたに起因するものかどうか分からないでしょう? カウンセラーに恐る恐る言ってみる。でも、不機嫌になられるのが怖いんです。何が怖いのか教えて。うーん、とにかく怖い、誰かが不機嫌になってるとそれが全部自分のせいに思えてしまう。他人がどう思うかどう考えるかはあなたがコントロールできるものでもなし、そもそも他人同士なのだから不機嫌になるのはそのひとの領分であなたの領分じゃないのよ。うーん、何となく言われてることは分かるんですけど…幼い頃から「ひとを思いやりなさい」とか「ひとを慮りなさい」って言われ続けてきたせいか、びくびくしちゃうんです、他人の苛々のオーラとかに、過敏に反応しちゃうんです。あったわねぇ、小学校の道徳の授業とかで、「ひとに思いやりをもって接しなさい」とか。はいー、でも、でもですね、大きくなってくると、個性尊重とか言われるじゃないですか、あれ、矛盾してませんかね、他人を思いやれ、もっと慮って配慮しろ、って教えておきながら、今度は個性尊重、他人は他人とか言い出す…私、すごく混乱してしまう。確かにそうね、矛盾してるわね、でもそれをそのまま受け止めてるあなたも相当素直というか、素直過ぎるというか。カウンセラーがそう言ってにっこりする。いいのよもっと適当になって。アバウトになろう。言われてることは何となく分かるんですけど、そのアバウトさ、適当加減が全然分からない。
その後、カウンセラーと境界線の話になる。でもちょっと思い出せない。大事なことを話した気がするのだが。次回カウンセラーに確かめよう。教えてもらおう、何を話したのか。きっと私は途中から解離していたんだと思う。本当にすっかり、忘れてしまっている。確かに大事なことを話した、その感じだけは残っているのだが。
帰り道、電車の窓から流れ飛ぶ街景をぼんやり眺めた。ちょっと疲れているのかもしれない。このところ頭痛が頻発するのは主治医の言う通り季節の変わり目で自律神経が狂っているせいなのかもしれない。身体も強張っている。あちこちががちがちだ。鮮やかな色が次々飛び去り、いつの間にかぼんやりとしたグレートーンに変わる。街景は確かにカラーなのに私の脳はそれをグレーに変換してしまう。やっぱり、疲れてるのかもしれないな。

夜、足が棒のように固くなって痛み出す。横になりたくて仕方がないのに家人が今日は特別な日だからちゃんと家族一緒にいないととしきりに繰り返す。気持ちは分からないではないが、主役の息子がすでにゲームをしているのだからいいじゃないかと心の中思う。でも言えない。私が「余計な事」を言って彼と争いになったら、それこそ場を台無しにしてしまうことが分かるから、言えない。こっそり小さくため息をついて食卓に座り直す。昔からそうだ、彼は何か脅迫的に、記念日には家族一緒に過ごさないと、と思っている節がある。よほど原家族での体験がトラウマになっているに違いない。でも、それはあなたの体験であって、それで他人を縛る権利はないのだよ、と、今日のカウンセリングになぞらえて思ってみたりする。
言わないけど。


浅岡忍 HOMEMAIL

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