ささやかな日々

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2021年04月04日(日) 
どんよりと雲が空を覆う朝。せっせと洗濯機を廻す。息子は朝から録画したクレヨンしんちゃんを観てくすくす笑っている。笑うのは全く構わないのだが、ちゃんとご飯食べてよと私は彼に何度も声を掛ける。
桜があっという間に葉桜に変わってゆく。まだ僅かに残る花の間々から萌黄色の生まれたての柔らかそうな葉の姿。季節はどんどん過ぎ往くのだなあと改めて思う。時はいつだって容赦なく刻まれ続けている。

久しぶりに身体を動かしたら、あちこち軋んでしまっていることを思い知らされる。骨盤周りがぎしぎしだ。もしこれが自転車か何かなら、間違いなくぎしぎしと音を立てていたに違いない。骨折している間中何もできなかったことを思えばそれは当たり前なのかもしれないが、ちょっと凹む。開脚してぺたんと前屈できていたのが、微妙にできないのが悔しい。これからせっせと励むとするか、なんて自分で自分を鼓舞する。
身体は本当に正直だ。心はあれこれごまかそうとするけれど、身体は容赦なく、いや違うと声を上げて来る。ただ、それに気づこうとするかしないか、なんだろうな、と思う。十年前の私だったら、それに気づくなんてまったくしようとしなかった。そんな声聴いてられるか!と無茶苦茶をしてた。でもそれを為すと、絶対ツケが回って来る。それを思い知らされた。歳を取るってことはそういうことなんだと思う。
でも、歳を重ねて私は生きやすくなった。本当に楽になった。十代二十代三十代って、どうしても女の「性」の部分が強調されてしまう。匂い立ってしまう。そのせいで傷つくことがどれほど多かったか。歳を重ねて、そういった匂いが薄れ始めて、気づく。荷物がひょいっとどこかにいって、その荷物の分だけ身体が軽くなる、って。
だから私は、歳を重ねるのが今は丁度良い具合なんだと思う。

黄砂が飛んでいるらしく、朝がこのところいつも煙っている。すっきりした夜明けの姿に出会えていない。今朝もそうだ。曇天ということもあるけれど、モノの輪郭が微妙に霞んでいる。
そんな中でも、ベランダの植物たちはせっせと花開く。菫もイフェイオンもクリサンセマムもみんな元気にぴんっと天を向いて、ここだよここだよと言わんばかりに咲いている。ここにブルーデージーも仲間入りしたら、きっと色合いが綺麗だろうなと思いつく。来年はブルーデージーも育てよう。心にメモする。
二十年前くらいに日々書いていたテキストを読み返すと、この頃は必死に前を向こう天を向こうとしていたのだなと、そんな昔の自分の姿がありありと浮かび上がってきてちょっと切なくなる。そんな必死にならなくても、と声をかけたくなる。もっと、のんびりでいいんだよ、と言ってあげたいくらいに。
夕方から雨になるという。さあ、今日を精一杯生きよう。


浅岡忍 HOMEMAIL

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