ささやかな日々

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2021年03月31日(水) 
息子と一緒にベランダの植物たちに水やりをする朝。如雨露を運ぶのもだいぶ堂に入ってきた息子に、たっぷりあげてねと声をかける。菫の茂り方がまさに言葉通りこんもりしてきて、まるで小山みたいだ。イフェイオンもクリサンセマムも、その咲きぶりは、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃおしゃべりしてるみたいで何だか可笑しい。
夜が明ける時刻もどんどん早くなってる。水やりをしている最中にすでに空が輝き始めており。今日もぬくい日になるんだろうなと空を仰ぐ。

家族で公園に出掛ける。風が揺れるたび花弁がふわあっと舞い落ちて来る。公園で遊んでいる子供らが「すごいよすごいよ!花弁すごいよ!」と歓声を上げる程。私も花弁の行く先をぼんやり眺める。
すでに葉桜になっている樹も多くある。入学式の頃にはすっかり緑が茂っているに違いない。私が小学生の頃はまだ、桜は入学式の頃に咲いていた。季節は少しずつ位置を変えているんだなと改めて思う。

やらなくちゃいけないことが山積みになってる。加害者のひとたちへの手紙の返事を書くこと。受刑者さんへの手紙の返事を書くこと。次回のプログラムの打ち合わせのための準備をすること。そして何より。6月の展示の準備を進めること。
読むつもりで積んである本も気になってる。気になってるのだが、全然読めてない。どうすんだ自分、と自ら自分に突っ込みをいれたい気分。息子が「一日50時間くらいあったらいいのになー!」とこの間喚いていたけれど、まさにそういう感じ。
でも。たぶん、時間がいくら増えたとしても、あまり変わらない気がする。やるかやらないかは自分次第なわけで。足りない時間の中でやりくりしながら、ひーひー言ってるくらいが多分、ちょうどいいんだ。

iriのはじまりの日をリピートして聴いている今日この頃。高校で自殺していったYのことや、Iのこと、自分自身の一番最初の自殺未遂のことなどあれこれを思い出す。十代ってどうしてあんなに思いつめていたんだろう。これでもかってほど思いがきつきつだった。いつ爆発してもおかしくないくらいに。でも、その当時はそんなこと気づかないんだ、生きるのに精一杯で。そういうものなんだろう。
そして今は今で、私は精一杯だったりする。ただその精一杯が、その年代その年代、それぞれに色合いを変えてゆくってことだ。
十代、二十代、三十代、四十代、それぞれの色があった。私のこれからはどんな色に染まるんだろう。


浅岡忍 HOMEMAIL

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