ささやかな日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2021年03月24日(水) 
ここ数日ずっと空が霞んでいる。特に早朝の空。色と色の輪郭がぼんやりするほど霞んでいる。毎朝定点に立ち写真を撮ることを習慣にしている私は、今朝もベランダで、空と同じくぼんやりしてみる。そういえば春霞という言葉があったな、そういう言葉が生まれるくらい春は霞むものなのかしら。今更だけれど不思議。
整骨院に通っている。骨折による痛みの治療はほぼ終わった。ここからは挫傷した頚椎の治療やズレにズレている骨盤の矯正やらが始まる。私の身体を改めて触診した先生が「よくもまぁこんなに凝り固まってるもんですね」と笑う。これじゃぁ緩むことができないですね、とも。
確かに私の身体はがちがちだ。緩むことなどぽいっと何処かに捨ててきたんじゃなかろうかと思えるくらいがちがちだ。おかげで凝りのない状態を私が思い出せないくらい。「でも、ちゃんとメンテしていきましょう!」先生の心強い言葉。ありがたい。

省みれば、線維筋痛症と思われるくらいの強い身体の痛みと長年つきあってきている。おかげで鎮痛剤が手放せない。でも、この状態ではない、解れた状態をほぼほぼ知らないから、いってみれば痛みがある状態が自分のデフォルトだから、そうじゃない状態を想像することすらできない。痛みがないってどういう状態だろう?純粋に首を傾げてしまう。

ついこの間、性的虐待順応症候群という概念を知った。知るほどに、頷いてしまう。これは身に覚えがあるな、と強く思う。これは、子どもに限ったことではないな、と。
1)性的虐待を秘密にしようとする/2)自分は無力で状況を変えることはできないと感じる/3)加害者を含めた周りの大人の期待に合わせよう、順応しようとする/4)被害の開示の遅れ、開示内容に矛盾があること、開示が説得力に欠けること/5)被害を開示した後で撤回する
一度の性暴力ではない、繰り返し繰り返し行われた性暴力の被害当事者にとって、これはとても親しい症状なのではないか、と、思う。
今更ながらこの概念を知り、私は最初こそ驚いたけれども、その後、すうっと私の内奥の泉にその概念が沁み込んでくるのを感じた。ああ、覚えがある、と。改めてこのことについてはカウンセリングで取り扱わせてもらおうと心に決める。

それにしても。
いろんな先生がいるなと思う。今回の整骨院の先生や、いつだったかケアしてもらった東洋医学に詳しい先生、そして私の恩師などなど。ひとりひとり個性があるように、ケアの仕方にもそれぞれに方向がある。痛みを取り除くのか、それとも痛みと共存するのか、そういった、要所要所での方向性を確認しつつ治療を進めなければいけない。近々インナー検査をする予定。一体どういう結果が出てきてしまうんだろう。ちょっぴりドキドキ。


浅岡忍 HOMEMAIL

My追加