ささやかな日々

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2021年03月09日(火) 
早い時間に息子を寝かしつけてそのまま自分も二時間眠ってしまった。ぱっちり目が覚める。窓の外はとっぷり闇色で。家々に点る灯の数も眠る前と比べて半分以下に減っている。そういう時間だよな、と窓際に立ちながら思う。
右腕が不自由になってあれやこれや不便になった。フライパンを持ち上げられなかったり、箸使いがうまくいかなかったり。顔を洗うのも右側だけ不自由だったりする。今迄当たり前に為していた行為がうまくできないもどかしさ。少し苛々したりもする。
さて。これから朝までの時間どう使おうか、と逡巡し、ふと目に入る南瓜。ああ、家人が今日買ってきてくれたのだったと思い出す。そうだ南瓜の煮つけを作ろう。
が。これがいけなかった。南瓜を切ろうとして気づく。今の私の右手にはこの南瓜の硬さはなかなか手ごわい相手だった。四苦八苦しながら南瓜一個分を適当な大きさに何とか切る。そして醤油と酒とみりんと砂糖を加えてことこと、ことこと。
煮詰めてる間に右腕にシップを貼りつける。さっきの南瓜を切るという行為のダメージを何とか解消するため。友人が言っていた、シップとサポーターは最強の組み合わせだと。だから傷めて以来ほぼ毎日、シップとサポーターを巻いている。
ことこと、ことこと。南瓜を煮る。みな寝静まった夜更け。静かだ。とても静か。何の雑音も聞こえない。そのせいだろうか、自分が吸う煙草の、ちりりっと燃える音が妙にくっきり鼓膜に響く。

そういえば昨日は雨だった。しっとり降る雨、なのにもう刺すような冷たさはなく。何処か緩んだ冷たさだった。ああそうか、春だ、春のせいだ、そう思った。春がもう目の前なんだな、と。
ベランダのプランターの中、イフェイオンと菫が次々花を開かせている。青、薄水色、黄色、紫。それにクリサンセマムの白と勿忘草の水色。色が賑やかになればなるほど、私は何処か気後れを覚える。自分に色は似合わないんじゃないかと。少なくともまだ、早いんじゃないかと、そう思えてしまう。
世界がモノクロになったあの十年程の時間。私は色に恋焦がれた。でも、こうやって色が戻ってくると、今度は、モノクロの世界が懐かしい気がしてしまう。モノクロの世界に親しみすぎたのかもしれない。もう、色が溢れる春なんて、色が眩しすぎて、私は恥ずかしささえ覚えてしまう。

ことこと、ことこと。南瓜の煮つけが程なくできあがる。煮崩れることなくきれいにできたじゃない、なんて、自分に言ってから笑ってしまう。タッパーに移し替え、冷蔵庫に入れる。
あと一時間もすれば家族がぼちぼち起きてくる。それまでの自分の為に濃いめの珈琲を淹れてみる。窓の外の闇色は相変わらずそこに横たわっており。でも、あの色の向こうには、もうきっと夜明けの色がひっそり佇んでいるに違いない。


浅岡忍 HOMEMAIL

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