ささやかな日々

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2021年03月07日(日) 
昨日はアディクションリカバリープログラムの日で。いつものように都内まで出掛ける。今回は久しぶりに自分の被害と被害後について、まとまって話すことになっていた。
原稿はあったけれど。原稿を見ないで、彼らの顔を目を見て話したかった。だから、原稿の大事なところにだけ蛍光ペンで線を引く、それだけに留めた。
話しながら、何度も喉が詰まった。二十何年経ってもまだ、被害について語ることは喉を詰まらせるようなことなのかあ、と、ぼんやり頭の後ろの方で思った。私と目を合わせないよう目を伏せている人もいれば、こちらをじっと見ている人もいる。斜め横を向いている人もいれば、まっすぐこちらを向いている人もいる。そういう中で私はとにかく話した。50人弱いる教室は、少し暑く感じられた。
語っている最中はもう、余計なことは考えられなかった。ただとにかく、「届け、届け、誰かたった一人にでもいい、届け」と思いながら声にした。三十分を少し超えてしまったが、ほぼ時間通りに語りを終え、シェアの時間になった。まず二人一組、その後全体でのシェア。
思い返せば、以前は、挙手をお願いしますとS先生が言っても誰も挙げてくれないような時期もあった。それが今は、ぽつぽつではあってもちゃんと自ら手を挙げてくれるひとたちがいる。それだけで私は、嬉しい。
最後、起立して名前を言い、それから感想を述べてくれたひとがいた。ああ、前に私を呼び止めてくれたひとだ、と思いながら、じっと耳を傾けた。ちゃんと届いてる、受け取ってくれたひとがいる、と知れるのは本当にありがたいことだ。いくら感謝しても足りない。
最後「ありがとうございました」と言って会は終わった。少しふわりとする身体を支えながらエレベーターに乗り込む。S先生と会後のふたりでの打ち合わせ。

クリニックを出る頃には辺りはすっかり暗くなっており。私は、親友に電話を掛ける。最寄りの駅で待ち合わせの約束を交わす。一本だけ煙草を吸って、そうして電車に乗る。
親友のあれやこれやの話を聴かせてもらいながら、私は早々に酔っぱらう。梅酒一杯でやめて、慌てて珈琲に切り替える。ふと、身体の中が空っぽになっていることに気づく。がらーんとしたその空洞を私は心の眼で見やる。そして一言だけ、自分に声を掛ける。「お疲れ様」。
親友が言う。よく加害者と対話なんて思いつくよね、よく心保てるなあっていつも思う、と。だから応える。それ以外私に思いつくことがなかったんだよ、これをするしかないって、そう思って、と。
加害者と対話、というと、対立した構図を思い浮かべるのが通常なのかもしれない。でも私にとって加害者と被害者というのは、決して、対立だけしているものではなかった。とても似通った痛みを知っている者同士でもあった。だからこそ、ちゃんと向き合って対話ができたなら伝わるものが在るに違いないとそう思えた。
すべての被害者がそうだとは思わない。たまたま私がそうだった、というだけの話。だから決して、他の被害者に強いようなんて思わない。
ただ、このバトンを、いつか誰かに渡したい、いつか次に連ねたい、という気持ちは、ある。それがいつなのか、私にはまったく分からないけれども。

親友の家を後にし私は電車に乗り込む。今日は絶対に乗り越したりしないぞと思いながら。そして慌ただしかった一日をぼんやり思い返しながら。


浅岡忍 HOMEMAIL

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