ささやかな日々

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2021年01月08日(金) 
昨夜半熟チーズケーキを作り始めた。クリームチーズとマスカルポーネを捏ねている時唐突に木べらが折れた。
それは私が一人暮らしを始める折に実家から持ち出したものの一つで。長年愛用してきたものだった。だから折れた木べらを前に、しばし呆然と立ち尽くしてしまった。
何となしに嫌な感じが背中を走り、母にLINEする。「実は木べらが折れちゃったの」とだけ。すると「ああ、あの木べら、あなたが持って行ってたの?ずっと探してたのよ」とすぐ返信が来る。しばしの沈黙の後、「私が犯人でした!」と文字を打つ。すると母からこんな返事が。「あれはね、浅草橋で買ったのよ。使いやすいでしょう、とっても。コロナが終わったらまた買ってあげるわよ」。
私はその文字をごくり呑み込む。コロナが終わることなんてあるんだろうか? 恐らくそれはないだろう。コロナはこれからずっと私たちが付き合い続けていかなかければならない代物に違いない。でも、年老いた母にそれをそのまま突きつけるのは、何か違う気がして私は何も返事ができなかった。だからこう打った。「うん、楽しみに待ってる!」。嘘、ではない。楽しみにしてることは本当だ。でも。
そうして改めて思ったのは。私の知らない母たちの歴史がどれほどにあったのか、ということ。母と浅草橋は私の中ではちっとも結びつかない線だった。今言われなければ生涯知らなかったろう。
父と母は結婚当初とても貧乏だったと聞いた。六畳一間で暮らしていたと。給料日前は湯豆腐を食べて凌いでいたって。そう聞いたことがあった。昔々のこと。
本当は。
もっと早く、二人から話をそれぞれに聞かせてほしかった。そのつもりで動き始めたこともあった。でも結局叶わなかった。私と彼らとは、違い過ぎた。水と油過ぎた。だからこれからも、たまにこうやって「知らなかったこと」を見聞きすることはあっても、改めてその場を設けて聞くということはないのだろう。そういう意味で、私は実に親不孝な娘だと思う。不義理な娘だと思う。
父よ母よ、ごめん。

被害に遭い、すべてが変わってしまった。それまでの人生の流れがすっぱり切断されて、滝つぼに叩き落されたかのような、そんな落下の仕方だった。そうしてずっと、滝つぼの中でぐるぐる浮かんだり沈んだりを繰り返している気がする。私の人生。
そういう状況にだいぶ慣れて、私は私なりの泳ぎ方浮かび上がり方息継ぎの仕方を体得してきた。でもそれはあくまで「私の方法」であって、他の誰かに合うわけでは、ない。父母から見ても理解できるものでは、ない。だから彼らが私にアレルギー反応を起こすのは、仕方のないことでもある。
もちろん私も、彼らにアレルギー反応を示すのだから、お互い、どっちもどっち、ということか。

今日は通院日だった。カウンセラーとのやりとりを細かく思い出そうとしても頭がぼんやりしていてうまく思い出せない。ただ、主治医とのやりとりのこの部分はくっきり覚えている。「過緊張は、さらにその上を行く緊張でしか解せないのよ」と。主治医が言うので、何ですかそれは、と問うと、たとえば肩が痛いとき肩をぎゅーっと上げる、そしてそれを唐突に落として解す、それは、過度な緊張で凝り固まった肩にさらに力を入れ、それを一気に解放することで緊張を解すことであり。過緊張はだから、さらなる緊張を与えることでしか、解せない、と。
なるほどなあと頷く。

それにしても。今日は身体痛が酷い。一日中テニスボールと鎮痛剤を手に握っていた気がする。天気のせいかなあなんて自分を慰めてみるが、それで痛みが去るわけでもなし、せっせせっせとボールでケアするほかにない。
今年一番の冷気ですっぽり覆われたせいか、今日の夕暮れはいつも以上の静謐さでもってそこにあった。


浅岡忍 HOMEMAIL

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