ささやかな日々

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2021年01月06日(水) 
あと三週間もすれば記念日だ。それは必ずやってくる。当たり前だ、私に時間を止める術なんてないのだから。頭の芯がじんじんする。唐突にフラッシュバックしてくる映像に吐き気を覚える。フラッシュバックにフリーズして半身が痺れてくる。
時間を止めることができないならせめて、時の進みを倍速にできたらいいのに、なんて、ばかみたいに願っている自分がいる。

私の記念日が来るということは、阪神淡路大震災のあの日もその前にやってくるということで。つまりは友人の命日がやってくるということで。
友人は恋人から酷い暴力を受けていた。それに耐えられなくなった彼女がやっとの思いで逃げた先が、神戸の知人宅だった。それが地震が起きる一週間前のこと。他の誰にも告げないから、と、着の身着のままで逃げていった彼女。毎晩10時に電話連絡を取って生存確認をしていた。地震が起きる前の晩も電話をし、「大丈夫。少しご飯食べられるようになったよ」と彼女は笑ったんだった。
そしてあの朝、早朝のこと。飼い猫のモモが、ぐるぐると部屋の中を廻って何かを私に知らせていた。どうしたの、何かあった?と声をかけた直後、つけっぱなしにしていたテレビの映像がぐわんと歪んだ。
阪神淡路大震災。彼女は死亡欄に名前さえ載らなかった。当たり前だ、彼女が神戸に逃げたことを知っていたのは私ともう一人の友人だけだったのだから。
今思い出しても胸がぎゅうと鷲掴みにされるような感覚を覚える。やっと普通に眠れるようになったのに。それもたった一週間で終わりだなんて。どうしてこんな残酷な仕打ちを神様はしてのけるんだろう。彼女が一体何をした?
彼女のことで頭がまだまだいっぱいだったその十日後に、今度は自分が被害に遭うことになった。何がなんだかわからんとはこのことだと思った。
生きてるって、そういうことだ。何が起こるかなんて分かったもんじゃない。あり得ないと思っていることががんがん起こる。夢見てた将来も恋も何もかも、私はそうして失った。自分の健康も何も全部、だ。
そんなもんだ。
じゃあ何で私はまだ生きてるんだろう。否、死ねなかったというのが正解だ。何度も何度も死のうと試みて、でも失敗を繰り返して、生き残ってしまった。どれほどその生き残ったことを恨んだことか知れない。
でも。
今はそういう恨みも薄らいだ。生き残ったことをどんなに恨んだって、誰も何も助けてくれやしない、何一つ変わってくれやしない。結局、すべて、自分で自分を引き受けるほかにない。
「他人と過去は変えられない。変えられるのは今と自分のみ」。本当にそうだと思う。


浅岡忍 HOMEMAIL

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