ささやかな日々

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2020年10月16日(金) 
手紙の返事を書いていたらあっという間に真夜中を過ぎ、丑三つ時になっていた。冷え込んできたなと今更気づく。足の先が冷たくなるなんてこの季節ならではだ。冬に向かっているのだなと思うと嬉しくなる。手足が冷たくなるのは難儀だけれど、でも、あの、冬ならではの大気の冷たさ、透き通る度合いが、私はたまらなく好きだ。
冬といえば雪、と息子は言うけれど、私にとっては雪は親しすぎてあまり浮かばない。幼少期、毎年冬休みになると山小屋に連れて行かれた。否応なく連れて行かれた。そこで父からスキーや冬山登りを教えられた。今でもぱっと思い出すのは雪のあの眩い白さと、父のストックの鋭い痛みの感覚。いや、痛みよりも、父のあの、ゴーグルの向こうの冷たい目と冷たい声が強く思い出される。そう書いてくると、父はよほど厳しかったのだと思われるかもしれない。いや本当に厳しい人だった。スキーを教え込まれたお陰で今も滑れるけれど、スキーが楽しいと感じられるようになったのは父から離れてから、だった。雪は美しいけれど冷たく、同時に暖かく、私の命を吸い取るもの、だった。でも、白樺のあの雪を湛え陽の光を浴びた美しさは忘れられない。何もない、ただただ一面雪原であった山の頂に立つ時の静けさも。
そんな私にとって冬といえば雪ではなく、海なのだ。轟々と鳴る波の荒さや風の冷たさ。そして何よりも何よりも、透き通る海の、あの美しさ。この世界は、この星は海でできていると強く思う。脅威であり圧倒的美であり、象徴。この星がこの星であることの象徴。そんなふうに、私には感じられて。
自分が被害に遭ったのは冬だ。だから解離も酷くなる。離人感も強まり、四六時中何処か浮遊しているような状態になりがちだ。フラッシュバックの度合いも酷くなる。でも。
私が、自分が生きていることを実感できるのもまた、冬なのだ。

手紙を書き始める前、ガス台を磨いた。ぴかぴかに磨いた。磨いていると、いつだって心が落ち着いてくる。そうして一本煙草を吸って、それから書き始めた。書いている途中何度か珈琲を淹れ直した。そのたびワンコがちらり、こちらを見上げてきた。家族が寝静まった真夜中、私とワンコの気配だけ。
あまりに静かで、音楽をかける。今日はどんな気分だろうとランダムに曲を流していたのだけれど、結局StingとSigur Rosに落ち着く。ひたすらリピート。
そして手紙を書き終え、封筒に宛名を書き、封をして切手を貼る。封書を机の端に置き、立ち上がり、ぴかぴかのガス台の前に立ち、換気扇の下一本煙草を吸う。

今日は映画「望み」を観た。何故だろう、描かれていた母親に酷く苛立つ自分だった。加害者だろうと何だろうと生きていてくれればいい、という姿は、過日観た「許された子どもたち」のあの加害者の母親と似通っていた。だからかもしれない、苛々してたまらなかった。
信じるって、何だろう。そのことを、改めて見つめる。


浅岡忍 HOMEMAIL

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