ささやかな日々

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2020年10月14日(水) 
アメリカンブルーの様子がやっぱりおかしい。葉が乾いて縮れてしまう。どんなにたっぷり水をやっても、気づけば葉が乾いている。どうしたんだろう。思いつく手当ては全部やってみたのだが。困った。
挿し木ばかりを集めたプランターは元気で、めいめい新しい葉を萌え出させている。もう少ししたら植え替えてやらないといけない。その頃合いを見定めてやらないと。気を付けて見守っていかなければ。
トマトは息子が忘れかけているにも関わらず、律義に実を湛え、最近は枝が撓っている。重たそうだ。じっと見つめながら、頑張れよーと声をかける。
蕾の段階で切り落としたホワイトクリスマス。花瓶の中綺麗に咲いた。そのほっくり丸い形を愛でながら息を吸いこめば、涼し気でありながら甘い花香が。いい香りだ。これこそが薔薇の香りなんだと思う。人工のローズの香りはやはり苦手だ。

緊張して日々を過ごしているせいか身体の痛みが強い。痛み止めが手放せない。心の友のYさんが、「トラマールが親友って何なのそれ!」と笑う。だから私も笑い飛ばす。変に深刻にならずに笑い飛ばすのがいい、こういうことは。
調子に乗ってトラマールにばかり頼ると効かなくなるので、合間合間でロキソニンを投入する。そのくらいが私には丁度いいらしい。
身体の痛みに比例するかのように、記憶も飛び飛びだ。傷だらけのレコードを再生したらこうなる、みたいな。夜になって一日を振り返ろうと思っても、おかげでちっとも繋がらない。
でも。最近はもう、そうしたことに嘆かなくなった。もう仕方がない、と思えるようになった。それがいいのか悪いのかは別にして、私にはその程度の受け止め方が必要なんだとつくづく思う。でないとどんどん落ちるばかりになってしまうから。

ワンコの散歩をしていて彼が急に勢いよく向きを変えてくれたおかげで、右手を痛めた。これが結構困った事態に。珈琲を淹れても珈琲の入ったポットが持てない。ケトルでお湯を沸かしてもそのケトルを持ち上げることができない。参ったなぁと思いながら左手を添えて何とか持ち上げるのだけれど。

家人の写真集作りが佳境だ。おかげで彼の神経がぴりぴり張り詰めていて、不用意にそれに触れるととんでもないことになる。ああまたかぁと思うのだけれど、慣れない。あと数か月この状態が続くのかと思うともはやうんざり。困ったなあ。こういう時、作業部屋が一緒というのが足枷になる。当分彼が作業中の時はびくびくしながら過ごさねばならない。ちょっと憂鬱。

SNSから距離を置き始めて数か月。だいぶ慣れた。もはや話題を追おうという気もなくなった。よくもまぁこの次から次に流れる書き込みの中にかつていたもんだ、と今更ながら思う。距離を置いてみると、言葉がどれほど浪費されているかがよく分かる。しかもそれはたいてい尖った言葉だったりする。刺激に慣れて、やがて鈍感になる。このまま距離を少しずつ置いて、最後は要らなくなれたらいいなと思う。

窓を開けていると涼しい風が漂ってくる。流れ込んでくる、のではなく、じわりじわりと漂ってくる。明日は雨だと天気予報が告げている。私は窓際に立ち、夜空を見上げる。


浅岡忍 HOMEMAIL

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