ささやかな日々

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2020年10月18日(日) 
真夜中からせっせと家人の展示のチラシを三つ折りにし、手紙を添えて封をする、という作業をひたすら続ける。あっという間に朝になる。
学校から、今日運動会を実施するとの連絡が入り、慌ただしく支度。玄関を飛び出してゆく息子を見送り、開始時間まで再び封をする作業。宛名書き。手が痺れてくるのをだましだまししながら、ひたすら作業。私、自分の時より一生懸命やってるんじゃない?なんて思えてくる始末。何やってんだか、自分。
運動会はたった二種目。でもこのコロナ禍、運動会が次々中止になる中、たった二種目でもやってくれるのだからありがたいと言うべきか。ダンスと徒競走。二年生と五年生が同時に、ダンスと徒競走を交互に催すという具合。私達はその三十分間だけ観覧が許されている。もちろん人数制限もあり、一家庭二人まで。
息子はダンスをしながら、まったく集中力ない様子で笑ってしまう。ひょろひょろ踊りとでも称せるんじゃなかろうか。心の中、まったくもー、と文句を言いたくなる。徒競走は徒競走で、これまた遊んでるんじゃなかろうかと思う速度で走って来るので唖然としてしまう。後で、靴と体操着のズボンが脱げそうになって、と彼の言い訳を聞き、私の方がしょぼんとしてしまう。

午後、映画館で小田香監督、映画「セノーテ」を鑑賞。水に酔うのではないかと思うほどの水の映像。次から次に折り重なるようにして、こちらを畳み込むかのように。それは水の、と同時に光の洪水でもあり。そして正面からのポートレートや闘牛の象徴的なシーン。あちこちに重なり合い響き合う音。
どれをとっても、小田香さんの心を射たのであろう印象の洪水。
私は水が好きだ。海が好き、湖が好き、池が好き。水が好きだから、水と、海と友達になりたくて泳ぎを覚えた。それが嵩じて一時期は海女になりたいとさえ思ったことがある。そんな私にとって海は何処までも深く、深く、深く、沈んでゆける場所、そして、それは何処までも独りであれる場所、だったりする。
一方、小田香さんは、カナヅチだという。その小田さんの心眼に捉えられた水は光と音に溢れ返って何処までも何処までも響き合いながら絡まってゆく縁の織物みたいだ。観る者は否応なく、自分の立つ場所を考えさせられる。今こことは何なのか、何処なのか、今自分が立つこことはそもそもいったい何処なのか何なのか。
私は映画を観ながら、時間さえ浮遊してしまいそうな足場のない宙を感じていた。
映画の後リモートで小田監督が現れ、Q&A。映画鑑賞前、メッセンジャーで会話した時には「ぼそぼそしゃべると思うんでよろしくです」と仰っていたのに、はきはきにこにこお話される姿に、つい笑顔になってしまう。
最後に、今「ノイズが言うには」を上映する意味などにも触れられていた。映画館を出ると目の前のコンビニの前、喫煙スペースを見つけ一服。急に現実に戻されて、逆に身体がぐわんと揺れる。確かすぎる足元=地面に違和感さえ覚える。
そのくらい、小田香監督の「セノーテ」の水と光は圧倒的だった。


浅岡忍 HOMEMAIL

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