ささやかな日々

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2020年10月08日(木) 
雨だ。台風が来ているらしい。天気予報が繰り返し繰り返し、台風のことを告げている。私はといえば、それを聞きながらも、洗濯物ができないなぁ困ったなあと、そんなことを考え続けている。
唯一心配なのは植木だ。薔薇は今、幾つもの蕾をこさえている。その蕾たちをくっつけた枝たちは台風の風に嬲られて、大丈夫だろうか。ラベンダーも朝顔も、瀕死の状態になったりしないだろうか。新しく植えたスミレなど、今芽が出たばかり。みんなダメになったりしないだろうか。そんな心配ばかりしている。

手紙を書き終えて、気づけば真夜中過ぎ。今日は本当にあっという間の一日だった。朝から先日の結婚式で撮影した写真をプリントしたり、次の加害者プログラムの準備をしたり。その合間合間に家人の展示の準備の手伝いをしたり。時間がいくらあっても足りないくらい。雨の中ワンコの散歩に出掛けている数十分の間だけが、ぽっかり空いた時間だった。
昨日は昔の同級生に久しぶりに会った。一年ぶりだったろうか。久しぶりに会ったのだけれど久しぶりという感じがしない。ついこの間も会っていたような感覚。会話しながら、こういう、時間がいきなり巻き戻る感じって、どういえばいいのかなあなんて考えていた。
大学時代。正直あまり思い出せない。その友人とのことくらいしか思い出せない。それも途切れ途切れ、残念ながら。
PTSDは脳にダメージを喰らわすというのはもう研究されて知られていることだけれど。はっきりいって生半可なダメージじゃないとつくづく思う。記憶を断片化させるに十分なもの、なのだ。ダメージを喰らう前のことを、破壊し尽くす。木端微塵にする。そして、ダメージを喰らって以降に関しては、もちろん、様々な場面で痛みとして現れる。
一度ダメージを喰らった脳は、誤信号を出し続ける。たとえば、それまで安全とされていたものたちに対してさえ、危険信号を強烈に発し始める。私の場合、二十四時間三百六十五日、つまり四六時中危険信号が発せられ続けているから、心身が休まる時がない。それだけでもう、疲弊する。生きる気力がどんどん奪われる。
私が生き延びられたのは、ただただ、娘の存在ゆえ、だ。娘の存在があったから、私は死ねなかった。彼女が私をここまで生かしてくれた。つくづくそう思う。守るものがあったからこそ私は生き延びられた。いくら感謝してもしきれない。

昔は。
生き延びることをさせられた、と思っていた。生き延びることを「させられた」ことで、私は罪悪感を覚えていた。死んでいった友人たちに対し、生き残っていることが申し訳なくて申し訳なくてたまらなかった。
今は。
生き延びることができて、本当によかった、と思っている。罪悪感は微妙にまだ残っているけれども、それでも、私は生きたいと思うし、生きていたいと思うし、そして、生きていてよかった、と思う。

明日は通院日。支度をしなければ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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