ささやかな日々

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2020年10月03日(土) 
ワンコと散歩をしていると、あちこちで金木犀の香りに出会う。ああ今年もそんな季節か、実家の金木犀は元気かな、と思う。私の二階の部屋にまで届く大きな大きな金木犀。毎晩のように出窓に座ってはその樹を見下ろした。季節になれば香りが窓から幾重にも流れ込んできた。懐かしい光景。
家人が個展時に販売する写真集作りに勤しんでいる。今日はなかなかハードだったようで、作業中に何度も、違うこうじゃない、と呟いていた。私はそれを耳にしながら、気になりながら、それでも何も言わないでいる。彼の作業は彼のものだ。私が介入できることなどない。だからひたすら黙っている。それが私にできること。
息子は朝から外に遊びに出掛けている。昼に昼食を食べに戻っただけで、後はもうひたすら外。夕方戻った時には膝っ小僧に擦り傷を作っており。もちろん本人はけろりとしている。気にする風もなく。だから私もちらっと見ただけで放っておく。
アメリカンブルーは昼過ぎには葉を縮れさせており。だから夕刻、たっぷり水をやる。挿し木ばかりを集めたプランターは元気で、みんな瑞々しい葉を拡げている。朝顔は今朝も咲き、風に花弁を震わせている。
明日はH君の結婚式だ。挙式から披露宴、撮影を頼まれている。だから、紅差しの儀から撮影させてもらうことになった。私のカメラなどで大丈夫なのか正直不安が過ぎるが、こうなったらもうやるしかないわけで。精一杯務めるつもり。
彼を撮り始めて約十年。長かったような、短かったような。でもやっぱり、あっという間だった。私が覚えていないことも、写真は残って私の代わりに覚えている。写真の刻まれ方というのを思い知る。
夜、不安になったのかH君から諸々の連絡LINEが届く。慌ててPCに向かい返信。そんな彼の向こうで、きっともっとどきどきしてるんだろうお嫁さんの姿が思い浮かぶ。私は結婚式をやらなかったから、どこまで彼女のどきどきに寄り添えるか分からないけれど、彼女のそんなどきどきも写真に刻めたらいいなと思っている。

私の抱え込んだ病は。脳にも影響を及ぼすものだと承知はしている。それにしたってこの、記憶の途切れ方、見事すぎて呆れる。自分だけなら別にたいした影響はないけれど、誰かとの作業になるととんでもなくこれが弊害になる。困る。そのたび、もういい加減にしてほしい、と思う。被害から二十五年を越えても続く症状に、ほとほと嫌になる。きっと加害者側はそんなことこれっぽっちも想像しないに違いない。被害がこんな永続的に続くものだなどと、思いもしないに違いない。それが、正直、少し虚しい。
虚しい。それ以外の言葉が思い浮かばない。見つからない。悔しい、というような、能動的なものとは違うのだ、どこか他人事の、ぼんやりした痛み、なのだ。その宙ぶらりんの穴のような痛みが、いつもいつまでも私について回っている。それが正直言うと、しんどい。

珍しく封書ではなく絵葉書で手紙を出した。投函する時、その薄い紙が本当に届くのかしらんなんて思って少々不安になっている自分がいて、いまどき葉書を出すだけで不安になる人間なんておかしいでしょ、と突っ込みたくなった。苦笑しながら、頼りない薄い紙をポストに押し込んだ。
とにもかくにも明日。無事に過ぎますように。


浅岡忍 HOMEMAIL

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