ささやかな日々

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2020年09月19日(土) 
薔薇が小さめの花を二つ咲かせる。蕾の先がちょろっと綻んだところで切り花にするのはいつもの習慣。でないと苗木が弱ってしまうので。今年の夏の暑さにやられていたラベンダーもだいぶ復活してきた。そろそろ一度枝を詰めてやるのがいいかもしれない。アメリカンブルーは昨日の強風が止んで柔らかい風になった今日、安心したかのようにたくさんの花を開かせている。
息子のカマキリは相変わらず元気。いや、元気に見えるだけで本当は彼はきっといつだってここから解放されたいに違いない。息子に「いつ逃がしてあげるの?」と訊ねると「授業で観察してるんだ。それが終わったら」との返事。一体その授業はいつ終わるのだろう? それまでカマキリはちゃんと生き延びてくれるんだろうか? 私はそう言いかけて、止めた。もし死んでしまったら息子は凹むに違いない。でも、それもまた彼が引き受けるべき事柄なのかもしれないと思い直す。

昨日は通院日。気持ちが断層みたいにさっきと今とで切り離されてしまう話をした。もうちょっと詳しく言うと、ついさっきまでたとえば、誰かと喧嘩して怒っていたとする。その直後私は鼻歌を歌い始めてしまったりするのだ。そういう時はたいてい、気持ちが断裂して、それ前後の気持ちが断層のようになってしまって、自分でもその一瞬は事態を呑み込めなかったりする。鼻歌を歌いながら、私は何故今鼻歌を歌ってるんだろう? さっき私は何で怒っていたのだったっけ、と、他人事のように思うのだ。
そう、他人事。すべてが他人事。かつてカウンセラーに、二重三重に解離していると言われたが、まさにそういう感じ。二重三重に解離しているから、いったいどこが軸なのか、芯なのか、よくよく凝視しないと分からなくなってしまう。
そして一度私から断裂した「気持ち」は、どこまでも他人事で、自分の身に引き寄せようと思ってももはや手が届かなかったりする。
「解離しなくても気持ちを持ち続けていいのだということを自分に赦せないのよね、きっと。その安心がないというか。この断裂、断層について、少しずつ触れていかないといけないね」。怒りにしろこの断裂・断層にしろ、言語化が非常に難しい。これらをカウンセラーと対話するのは、相当心を集中させて、しかも集中させ続けておかないと、容易に私はカウンセリング中に解離するに違いない。心してかからないと。

夜風がずいぶん涼やかになってきた。ノースリーブでいると寒いくらいだ。でも今夜は窓を半分は開けておきたい。だって明日は雨だという。窓を開けておけない。だから今のうちにこの夜風を存分に楽しんで味わっておきたい。


浅岡忍 HOMEMAIL

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