ささやかな日々

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2020年09月17日(木) 
街路樹の並ぶ通りを自転車で走る。樹の下の枝の葉が幾つか黄色くなっており。え、もうそんな時期なの?と目をぱちくりさせる。そう気づいて改めてあちこちの街路樹を見やれば、まだびっしり緑の子もいれば一方で疲れたように黄色い葉を抱え込んでいる子もいて、ああこの暑さは緑の葉さえ草臥れる程だったのだなぁと改めて思う。私が子供の頃は、夏が暑いとはいっても今のような暑さではなかった。もっとずっと過ごしやすかった。
息子のカマキリ熱は一向に冷める様子はなく。今朝は「散歩も大事だよね!」と言いながら籠からカマキリを出して、掌や肩に乗せて遊んでいる。カマキリも何故か逃げずにあの三角の頭をくりくり動かしながらその肩や掌の上におとなしく乗っかっている。お願いだから飛ばないでよと、私は心の中でかなり必死に祈る。
朝、珈琲を飲み忘れたせいなのか、気分がどんより。外に出ている間くらい何とかなってほしいのに、こういう時に限って何ともならない。どよーんというト書きが私の横に貼り付けられているような気分に陥る。
何とか用事を終え帰宅すると、早々に家人と口喧嘩。このところ家人はイライラが酷い。11月から始まる個展の準備、写真集の準備であたふたしているせいだと分かってはいる。以前もそうだったから十分に分かってはいる。が、だからといって何でもかんでも許容できるわけじゃない。私は人間小さいので、許容量はたかが知れている。
でも。引きずられるのは、それはそれで、嫌だ。相手がイライラしているからって私がびくびくするのはもう疲れた。だから、さっさと切り替えて、鼻歌でも歌うことにする。とりあえず出てきたメロディは何故か滝廉太郎の「花」だったりして、自分で自分にずっこける。もっとこう、格好いいメロディが何故思いつかないのか。まったくもう。

昨晩は心の友とLINEチャットであれこれおしゃべり。本当なら電話してぱっぱか話したいところなのだが、彼女は電話が苦手なひと。電話が怖いと言っていた。だから彼女とのおしゃべりはもっぱらチャットになる。
音楽の話、トラウマの話、アダルトチルドレンの話、その他もろもろ、あっちいったりこっちいったり忙しく話題が投入される。気づけば丑三つ時、慌てて「おやすみ!」を言い合い終わりにする。
彼女とのつきあいももうどのくらいだろう。十年近くになるんだろうか。もはやはっきり思い出せない。彼女の余命があとわずかだとしても、私たちはけらけら笑いながら話をするんだろう。しんみりなんてしてやるもんか。最後まで大笑いさせてやる。覚悟しとけ!なんて、心の中で言ってみる。10月入ったらすぐ入院が決まっている彼女。その治療を受けたって、病が取り除かれるわけではなく。
彼女とは本当は、もっともっと長く一緒にいたかった、そのつもりだったけれど。難病中の難病を患っている彼女に、これ以上、頑張れ、とは私は言えない。彼女が「私もう十分やったと思うんだわ」と笑っているのに、そこに「いやもっと頑張ってよ」なんて、どの面下げたら言えるだろう。私には言えない。
だって。
本当に頑張ってきたことを、私は少しだけれど知っている。だから、私は残り僅かの彼女の人生だったとしても。その残り時間でいっぱい、これでもかってほど彼女を笑わせてやろうと思っている。それが私にできること。


浅岡忍 HOMEMAIL

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