ささやかな日々

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2020年09月06日(日) 
天気予報では今は雨なのだが。と思いながら窓の外を確かめる。雨はまだ降っていず。乾いたアスファルトが街灯に照らされている。家々の屋根も寝静まっている。

妹、といっても実の妹なわけではなく、妹のような存在の友達、から、電話。「ねえさん、加害者に会っちゃった、あれは加害者の声だった」。夜、コンビニに立ち寄った時のことらしい。「以来、フラッシュバックが酷くて、怖くて、バイトも休んでしまった」という。
私は心の中、自分が加害者と遭遇した時のことを思い出している。当時その電車に乗る以外病院に行く術がなかった私は、病院の行き帰りによく、加害者と遭遇していた。電車に乗っていてふと気配を感じ眼をやると、そこには横を向いて立つ加害者がいて。頭が真っ白になる。手足が震える。胃がせりあがってきて今にも口から出て来そうな気がする。くらくらする頭を何とか支えながら、私はとにかく自分が降りるべき駅に着くのを待つ。加害者は私より先に私に気づいていたようで、時折こちらをちらりと見てくる。そのたび私の心臓はぎゅうと痛む。
加害者と電車でそうやって遭遇するたび、私は食事がとれなくなった。家に帰り床にしゃがみこみ、猫が近寄って来るその猫の背中を必死の思いで撫で、何とか平静を保とうとするのだがそれができなくて、結局トイレに駆け込み嘔吐したり。或いはリストカットしたり。
そこにあったのは何だったろう。恐怖と怒り、だったのかもしれない。その当時の私はそれさえ分からず、ただただ怒涛のように襲ってくるあらゆる症状に対処するのが精いっぱいだったけれど。今振り返るときっとそこには、恐怖と怒りがあった気がする。
どうしてそこにいるの。
どうしてあなたは平然としているの。
どうして。
加害者が見知らぬ人間だったらよかったのに。せめて見知らぬ人間だったら、こんなふうに加害者と遭遇することなんてなかったかもしれないのに、と。
耳元で、妹が「十五年も経ってるのに、情けないよ」と凹んだ声を出す。いやいや、十五年しか経っていないとも言えるよ、十五年しか経っていないのだからこんな反応が出たって当然なんだよ、と私は返す。
あれやこれや話しているうちに、妹の声に笑い声が混じるようになる。よかった、と心の中思う。笑うことがほんのちょっとでもできれば、浮上は早い。電話を切る頃には、がはは笑いも出てきていた。もう大丈夫。

被害者にとっての被害は、一瞬では終わらない。被害そのもの、その一瞬、で終わるものではない。永遠に続く。加害者にとって時効はあっても、被害者に時効はないのと同じで。被害者はその傷を生涯背負って歩かなければならない。歩いてくる中で、少しずつ少しずつ、風化してゆく。でも、消えることは、ない。なくなることは、ないのだ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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