ささやかな日々

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2020年09月08日(火) 
何故か朝顔が次々咲くこの数日。もう終わったと思っていたのに。不思議。その隣で挿し木した薔薇の枝たちが一生懸命生きている。命を繋ごうと。
竜胆の青はどうしてこう美しいのだろう。二十歳の誕生日に友人が竜胆と白百合を二十本束ねた花束をくれたことを思い出す。あれほどの花束をもらったことはない。あの白と青のコントラストは今も鮮やかに記憶に刻まれている。
日に日に日の出が遅くなり、日の入りが早くなり。季節は流れ続けているのだなと教えられる。犬と散歩しながら、もうじきこの時刻では真っ暗になっちゃうね、と話しかける。犬は知ってか知らずか、ふふん、と鼻を鳴らす。

前回の診察時主治医から指摘されたことがじわじわ沁み込んできている。
 私怒りがよく分からない。私、怒ってるんでしょうか。
 怒ってるわよ。とんでもなく。
 そうですか?
 あなたの怒りは身近なひとたちにこれでもかってほど出てるじゃない?
 え?
 たとえばご主人、たとえば息子さん。触れられるのたまらなく嫌ってるでしょう、あなた。怒ってるでしょう?
 …はい。でも。
 記憶に刻まれた触感、体感が蘇ってしまうのよ、あなたの場合。鮮やか過ぎて。それで本来怒るべきでない相手に怒りが爆発する。そのくらい怒ってるってこと。
 …。
主治医に畳みかけるように言われたけれど、その時はよく分からなかった。でも。先日妹分が加害者と遭遇してしまった時に思い出した私の怒り、あれはたしかに怒りだったかもしれない、と今思うのだ。
そして今日も。めったやたらに私に触れてくる息子を邪険にしてしまった。もういい加減やめてよ、やめてって言ったことはやめて!と最後怒鳴ってしまった。多分その怒鳴り声は彼を傷つけた。はっとした時にはもう、遅かった。

そうやって丁寧に丁寧に自分の生活を見返すと、いたるところに自分の怒りが埋まっている気がする。まるで何処かの外国の土地に埋められた地雷みたいに、いつ誰がそれを踏んでしまうか分からないような、そんな危険な状態。そう気づいたら、ぞっとした。私は私の地雷で大事な人たちの命を危険に晒すかもしれないんだな、と、そう自覚した。

怒りと向き合う作業は、とんでもなくしんどいだろうと思われ。考えるだけでそれはそれでぞっとするのだけれども。このまま放置するわけにも、もはやいかないんだろう。気づいてしまったからには。
次回のカウンセリングで、カウンセラーに相談しないと、な。

これを書きながらふと窓の外を見やると、半月がぽっくり東空に浮かんでいた。ぽっかり、ではない。ぽっくり。そんな表現がぴったりな半月が。


浅岡忍 HOMEMAIL

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