ささやかな日々

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2020年09月02日(水) 
注文していた宮地尚子著「トラウマにふれる 心的外傷の身体論的転回」が届く。心待ちにしていた一冊。丁寧にグラシンをかけ、明日から読む本とする。
ホットフラッシュが相変わらずなのは仕方ないのだが、最近特に耳鳴りが酷い。ふとした時耳と耳を結ぶラインで音がきーんとし続ける。酷い時は周りの音が掻き消されてしまう音量で。
昔、こうした耳鳴りを止めようとして、必死にウォークマンで音を聞き続けていたことがあったっけ、と思い出す。最大ボリュームでがんがん聴いていた。私の耳の悪さはその時のせいだろうなあなんて想像すると苦笑しか出てこない。耳鳴りがPTSDのせいだなんて思ってもみなかった。何とかなるもの、と思っていたから、最初は。抗っていたんだ。

昨日息子が学校の授業で虫捕りをやったらしく。帰ってくると一匹のカマキリと一匹のバッタが虫籠に入っていた。「でもね」、と息子が言う。「僕が「いたっ!」って叫んじゃったせいでみんなが一斉に網をばんばんばんってやってきて、そのせいでカマキリ、怪我しちゃったんだ」。確かに何だか動きがおかしい。身体の向きが微妙に曲がっている。
「母ちゃん、餌ない?」。そこで怪我したカマキリは何を食べられるかと調べることになり。知らなかった。レバーや鶏肉、ヨーグルトなども、楊枝の先にくっつけてカマキリの目の前でフリフリしてあげれば食べるんだと初めて知った。早速やってみる。息子がレバーの切れ端をフリフリすると、弱々し気にカマキリが反応してきた。「母ちゃん!食べたよ!」息子が歓声を上げる。しかし。
翌朝、飛び起きて虫籠を見た息子はがっくり肩を落とした。カマキリが死んでしまっていたのだ。私は心の中、やっぱりなあと思う。でもそうは言えない。「きっとカマキリさんは、昨日、君が餌をくれたって喜んでいっぱい食べてたんだね。おいしかったと思うよ。嬉しくなってゆっくり眠りたくなったんだね」。息子はしばらく黙っていたが、やがて「僕のお肉おいしかったかな?」と言った。「おいしかったよ、絶対。きっと今頃、もっと食べればよかったなあって言ってるよ」と声をかけた。
生きているものは必ず死ぬ。いかに死ぬか、いかに生きるか。友人が、「私、年取ってまで生きていたくないんだ。早く死にたい」と言っていたのを思い出す。実は私も、二十代三十代の頃は、自分は早々に死ぬんだ、と思い込んで生きていた。それがどっこい、この年まで生き延びてしまっている。不思議だ。歳を重ねるほどに生きやすくなっている気がする。生きることが面白いと感じられるようになってきているように思う。このままなら、あと十年くらいは少なくとも生きてもいいかなあ、いや二十年くらい頑張れるかなあ、なんて思ったりする。若い頃のあの、生きることが苦しくて重くてしんどかった時期が、嘘のようだし、そう思うと何だか懐かしくも、ある。
カマキリが死んでしまったその一方で、挿し木した薔薇に小さな小さな白い花が咲いた。もうちょっと本当は花を楽しみたいけれど、もうここまで綻んだら充分だ、樹の為に切ってやろうと決める。ついでに、もうひとつついていた蕾は切り落とす。まだ小さな小さな樹だ、栄養がちゃんと回るように。来年も再来年も生きてもらう為に。
巡る命。私という命は今、どのあたりを泳いでいるのだろう。


浅岡忍 HOMEMAIL

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