ささやかな日々

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2020年08月19日(水) 
身体のメンテをしてもらいに東京まで出掛ける。私の足は片方が短くて、でもそれは痛んでるから縮んでしまっているのだという。それを施術のたび解してもらい、正常なところに治してもらう。それだけでも立った時の感じが変わる。身体のバランスが変わる。
肝臓は長年薬を服用しているから、しかもそれなりの量の薬を服用しているから、酒を摂取していなくても重くなっている。そのせいで腕がうまく上がらない。施術してもらうと、その直後は軽々と腕が上がるから不思議だ。他にもあちこち軋みが出ている部分に油を挿してもらって帰路に就く。
外に出ると真上に陣取った太陽が真っ白に輝いており。容赦ない陽光に目がくらくらする。水筒の水に少しだけ塩を混ぜてきたのだけれど、それでちょうどよかった。こまめに水分補給しながら歩き電車に乗る。
11月に家人が展示を控えており。帰宅するとその時販売する予定の写真集の表紙の制作をしていた。家人は結局フェルトにシルクスクリーンで印刷することに決めたようだ。赤いフェルト、その赤が血の色に見える。先日切り付けた自分の腕の血の色と重なって見える。
息子は昼食を食べるのも疎かになる勢いで外に遊びに行った。この炎天下大丈夫だろうかと思うけれども、でも遊びたいという気持ちは何より大事だ。コロナの騒動が始まってからというもの、友達と遊ぶのも気を遣うようになってしまった。そういう日常が彼らの日常だ。それだけでも足枷。
大学はいまだオンライン授業だという。キャンパスライフという言葉は正直好きではないけれども、それでも、学校に通いそこで実際に友と触れ合うぶつかりあうということがどれほど大事なことかを改めて思う。それが奪われた彼らのことを思う。
そんなこんなしているところに一通のメールが飛び込んでくる。MさんのことでKさんからのメール。幼少期に遭った性暴力被害は確かにすでに時効だけれど、せめて謝罪だけでも求めたい、そのために内容証明を先方に送りたい、そのために私の知っている弁護士に相談したい、という内容。
加害者に時効はあっても、被害者に時効はない。生涯背負っていかなければならない。実際Mさんは60を越えた今も被害の記憶に苦しんでいる。
加害者は土地の権力者で親戚だった。それだけでもしんどいのに、彼女の記憶はぶつ切れになっていてちゃんと被害の状況を説明することができなかったりする。
被害から50年を経てようやく加害者の名前を口にすることができた、とMさんは先日言っていた。
気持ちはすごく分かる。だから私にできることは何でもしたいと思う。でも。
きっと、これを何とかしたとしても、Mさんの望むような結果が出るかどうか。それを思うと暗澹たる思いにさせられる。
傷ついた者、傷つけた者。傷つけた者はいつだって忘れてゆく。その傷つけたことを忘れて笑っている。

太陽がぎらついて、悲しすぎる。


浅岡忍 HOMEMAIL

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