2020年07月27日(月) |
息子が種を蒔いたオクラがようやく実の徴をぽちょっとくっつけた。発見した息子が喜びの声を上げる。私は空を仰いで、洗濯物の心配をする。
凹んでいる私に彼女がそっと寄り添ってくれているのが分かる。分かるのだけれど、十分嬉しいはずなのに、それなのにそれでも、持ち上がらない自分の心に閉口する。一体どうしたら上昇してくれるんだろう、この心。かといって荒れ狂っているわけではない。ただ、重たい重たい雲が垂れ込めて、どうにもならないという感じ。じっとしていると息苦しくなるくらいそれは重たくて。だから何とかしようと思うのだけれど、動くのももう疲れて床に倒れ伏してしまう、そんな感じ。 だから試しに床に転がってみた。そうしたら不思議なことに、床がぐにゃっと凹んで私を吸い込むかのような錯覚に襲われた。ああこりゃ末期だなと苦笑した。
結局今夜も眠れず。午前三時を廻った。それまで止まっていた風が急にひゅるりと流れ始めた。ああこれは朝の徴だなと、網戸を開けベランダに出てみる。まだ地平線の何処にも気配はないけれど、それでも、この風が知らせてくる。朝だよ、朝だよ、と。
ひとが一人死んだくらいじゃ、世界は変わらない。いや、何十人何百人死んだくらいでも、世界はびくともしない。淡々と世界は廻り続ける。そうでなきゃこんな、人間の世界がこんなに長いこと続いてはこなかったに違いない。 それでも。
たかが一人。たかがひとつ。 されど、一人。されど、ひとつ。 たったひとつであってもそのひとつの生命の重さは、間違いなく誰かしらの心を傷つけ、穴をあけ。その誰かの明日は、昨日とは全く色合いを変えるに違いない。
だから思ってしまうんだ。 どうして今自分が生き残っているんだろう、って。 貴方があんな呆気なく死んでしまったのに、どうして何度も何度も自分を消去したいと試みた私の方が生き残っているのか、と。 この差は、何。
願わくば。せめて貴方が最後に見た光景が、貴方をやさしく抱きしめてくれる光景であってほしい。
さあ。朝だ。私はまた、動き始めよう。 |
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