2020年07月15日(水) |
ヨーグルトにシナモンと蜂蜜をかけて食べる。別に小腹が空いたわけでもないのに。何となく。そう、ただ何となく。ヨーグルトの味がちょっと、恋しくなった。 受刑者さんの一人から手紙が届く。運動をしていて右手を怪我したそうで。手紙の文字が歪んでいる。 ひとつ、問いかけが記されていた。それを続けた先に、受刑者である私のその先に何があると考えられますか?と。それ、とは、私が前の手紙に書いたことを指し示している。 手紙の封を開けてからずっと、この彼の問いを心の中ころころ転がしている。
私が先の手紙に書いたのは。「Yさんが今その場所でできることは、魂の殺人に遭った性犯罪被害者たちの中を滔々と流れる絶望と声なき悲鳴の共通項に、耳を澄まして、それを常に常に反芻し、Yさんの魂にまで刻み込むことだと思います」と。 これを続けた先に、何があるのか、と彼は問う。
私は。たぶん。彼のこの問いに、彼の満足がいくようには応えられないだろう。それはあなたがこれから生涯かけてずっと考え続け、探し続けなければならないことなんだと思う、と返事するだろう。無責任に見えてしまうかもしれないが、それが私の応え、だ。
被害者と加害者。そのそれぞれの立場から書かれる手紙は、時に切ないな、と思う。特に彼が、加害者ゆえに被害者である私に「何も言える立場にない」と書いてくる時、私はぼんやり心の温度が下がるのを感じる。 彼はすでにこの場所で、刑を全うすべく過ごしている。それで十分なんじゃないのか? それ以上に彼から、言葉まで彼から、奪ってしまうのは何故なのか、と。そんなことを、考えて。 そういうことを言うと、被害者なのにおかしい、と思われるかもしれないが。私は、被害者である前に一個の人間だ。人間としての尊厳を被害に遭うことによって奪われた、木端微塵にされたことのある、一人間だ。だからこそ、思うのだ。人間としての尊厳を奪う権利は誰にもない、と。奪ってはならないものなのだ、と。 いや彼は加害者で、そもそも性犯罪加害者で、私が言うところの人間の尊厳を奪い木端微塵にした張本人ではないか、という声がする。 確かにそうだ。でも、歯には歯を、と、自分がされたから同等のことを相手にしていい、とは、どうしても私は思えない。それをし始めたら、人間の世界なんて殺戮の世界に容易に変貌する。そんな、憎しみや怒りの、恨みの連鎖する世界なんて、私は望まない。
…と。話が少しずれてしまった。 私は。罪を憎んで人を憎まず。という言葉を、心の中心に据えている。そのことを、改めて確認する。罪を憎んで人を憎まず。 その為に自分が、延々と心の中自問自答を繰り返すのだとしても。
さあ。お手紙に返事を書こう。今夜のうちに。 |
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