ささやかな日々

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2020年07月04日(土) 
風がびゅうびゅう唸っている。窓を細目に開けているけれども、その窓の縁でまるで口笛を吹いているかのような、そんな音がする。一日中雨が降ったり止んだり。その間中風は唸り続け、今も。疲れを知らない子供みたいだ。
去年の夏みやさんに会いに行った時の写真を久しぶりに見返す。みやさんとはこの時が会うのは初めてだったけれど、それより十年近く前から電話では繰り返し喋っていたから、初めてという気がまったくしなかった。ああ知っている、私は彼女を知っている、そう思った。
いや、もちろん、私は彼女の声やそこで話される事柄、その背後に横たわる彼女の痛みしか知らない。それでも。何故だろうなあ、懐かしい人に会うかのような気がしたのだ。
絵描きでサバイバー。彼女は私の目の前でクレパスで画用紙を塗りたくった。青が好きだ、と言いながら、全面青に塗った。所々水色が混じったりしたけれど、まさに全面青。
私はその青の底に沈む彼女の傷を想像しながら、その絵を眺めた。
有明の海辺には蟹がこれでもかというほどいて、息子が走り回るその足音に合わせるかのように、ざざざっ、ざざざっと蠢き続けていた。
抜けるような青い空がそこにはあった。それは夏の色をしていたけれど、でも、まるで明日夏が終わるかのような気配を漂わせてもいた。もう終わるよ、もう終わるよ、と鳥が囀りながら私たちの前を横切っていった。
まだ一年しか経っていないなんて、あれからたった一年、か。もう五年も六年も前のようにさえ感じられる。歳を取るというのはそういうことなのだろうか。

みやさん。きっとみやさんとはもう、会えることはないんだろうと私は思う。よほどの機会がない限り、私が彼女のところに出向かない限り、体の不自由なみやさんと会えることはないんだろう、と。でも。
私はあの時、「またね」と言ったんだ。
理由を改めて問われてもうまく応える自信はない。でも。おのずとそう言っていた。
みやさん、病気や薬のせいで杖なしではもう歩けないし、顔半分が麻痺して水を飲むのさえストローなしでは飲めない。そんなみやさんの手は、若い頃みやさんがどれだけ美しい女性だったかを示すかのように実に美しい線を描いて在り、私はカメラを向けずにはいられないくらいそれは美しくて。
みやさん、もう会うことがなくても。きっとまた会えると私はあの時思ったんだ。心と心はきっとまた、何度でも出会う、と。
だから。

みやさん。元気ですか。元気でいますか。生きていますか。
私は。
元気です。


浅岡忍 HOMEMAIL

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