ささやかな日々

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2020年06月15日(月) 
 我が家の朝は相変わらず早くて、午前四時には始まる。息子と家人が犬の散歩にでかけ、その間に私は繰り返し洗濯機を廻す。ここしばらく雨で洗濯が溜まる一方だったのを、とにかく片づける。
 二人が帰ってきたら今度は朝食と珈琲の準備。犬のご飯も。あっという間に時間が過ぎてゆく。
 カブトムシは四匹目も無事羽化し、現在虫籠が四つ並んでいる。残念ながら二匹の雄の羽根が曲がって乾いてしまった。可哀そうにと思うけれども、無事羽化しただけでもよかったということか。何せ紙コップの中で羽化したのだから。
 朝顔は元気に弦をぐんぐん伸ばし絡ませている。でも、向日葵は今日も一本ぐでんとひしゃげてしまった。オクラとコンボルブルスは何とか頑張ってくれているのだけれど。薔薇の樹のひとつに葉ダニがびっしりついてしまって葉の色がすっかり変わってしまった。細目に薬を噴きかけていたのだが、だめ。指で必死に拭う今日この頃。
 カウンセリングで、先週、こんなことを話した。何からそういう話題になったのかを思い出せないのだけれど、被害直後、私は恐怖と無力感にずっぽり呑み込まれた、と。「怒りはなかったの?」と問われたが、怒りは、なかった。何故怒れるんだろう? そこがいまだ私にはわからない。
 そして、「被害直後の恐怖と無力感を引きずりながら、それでも上司にSOSを出したにも関わらず受け付けてもらえなかったこと」が私を「絶望」させた、という話になり。カウンセラーが「もしかして、被害よりも、被害後の方が衝撃が大きかったということなのかしら?」と問うてきたので、考え込んでしまった。
 被害直後の恐怖と無力感、これはもうどうしようもなく巨大で、私を圧死させるに足るくらいの代物だった。でも、それでも私はSOSを出した。必死の思いでSOSを出した。にもかかわらずそれがはねつけられたことで、私は絶望したのだ。私の世界は木端微塵になったのだ。
 被害で受けた衝撃と、被害後受けた衝撃とを、比べることなど、できない。ただ、被害後受けた衝撃によって私の息の根は止まったのだ、とは思う。

 怒り。被害に遭い怒りを覚えるひとというのは、何処でどう、怒りを持つことができるのだろう? 私にはいまだ、被害から二十数年を経てもまだ、それが分からない。怒りを持つにはどうしたらよかったのだろう、と今も悩んでいる。
 怒りを持てたら。
 もっと回復がしやすかったんじゃないのか?って思うからだ。怒りを持てたら、そのエネルギーでもっと容易に前に進めたんじゃないのか?と思うからだ。
 実際はどうなんだろう。

 私には。怒りを持つ術が、なかった。


浅岡忍 HOMEMAIL

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