ささやかな日々

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2020年06月16日(火) 
日記を書こうとして、今日という時間を辿れない自分に気づく。時々こういう状態に陥る。陥るとやっぱり凹む。いくら解離が酷いからってまともに時間を辿れないのは悲しい。でもそれが現実。
記憶の断片は。朝写真を撮ったこと。久しぶりに朝の写真を撮ったからかもしれない、覚えているのは。ちょうど太陽が昇り始めたところで、あ、今のうちに、と思ったのだ。太陽の上に真っ黒な雲の塊があって、太陽とその雲のコントラストが美しかったことを覚えている。
それ以外のことが辿れない。今日は何を誰と食べたのか、とか、今日は一体何をしていたのか、とか、そんな「当たり前」と言われることがことごとく辿れない。そもそも今日が何曜日で何日だったのか、スマートフォンの日時を見てようやく納得する次第。

見事な記憶の欠落にため息をつきながら、とりあえず犬にトイレをさせる。犬が私の手をぺろんと舐める。きれいにしたトイレに早速ぺたんと座り込む犬。頭を二、三度撫でてやる。二、三度のつもりが、彼がぺろんと腹を見せてひっくり返ったので、延長。しばらく腹と顎の下を撫でてやる。くかぁっと欠伸をする犬。
風が強くて開け放した窓から窓へ冷気が流れている。壁に貼り付けてある息子の絵が、ひらひらと闇に舞っている。

SNSは相変わらず賑やかだなと何となしに眺める。眺めるのだがちっとも頭に入ってこない。たぶん私の心がここに在らずだからなんだろう。眺めるのを諦めて目を窓の外に移す。
耳を澄ますと近くの動物園からだろう、動物の鳴き声が途切れ途切れに聞こえる。そういえば中島みゆきに「真夜中の動物園」というタイトルの歌がなかったか。聞いた覚えが微かに残っているのだが。

とにもかくにも、今日はあと数分で終わる。覚えていない今日はあと数分で終わる。それでいい、もういい、十分だ、生き延びたんだから。
明日また生きればいい。今ここしか生きられない生き物なんだから。今ここ、を、精一杯生きればそれで、いい。


浅岡忍 HOMEMAIL

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