2020年06月08日(月) |
ようやく完熟の梅が出回り始めたので購入。早速息子とヘタ取りを為す。楊枝でちょんっと突くだけで容易に取れるヘタ。こんなに簡単にとれちゃうの?どうしてないのもあるの?息子の疑問は尽きない。梅のジャムは甘い? うーん、甘酸っぱいかな、梅だから。ふぅん、ジャムなのに? そうだよ。変なの! そうか、息子にとってはジャムは甘いものなのかとこの時知る。私は甘酸っぱいジャムの方が好き。 ヘタを取り終えたらあく抜き。ひたひたになるくらいたっぷりの水に浸して一晩置く。明日になったらまず水をよく切って、砂糖をまぶしてしばらく置いて水分が出てきたらとろ火で煮込む。という具合。 砂糖を加えるのは最後の最後でいい。息子用と私用と別に作ろうかななんて思いつく。その方がいいかもしれない。 本当は、梅ジュースも作る予定だったのだけれど、今年はそこまで手が回らなそう。諦めた。 息子のマスクの内側がほつれてきたので、百円ショップで布を買い、再びちくちく縫う。黄色いクレヨンしんちゃんの布があったのでそれで作ることにする。息子は顔が小さいから、小さめのマスクを。 カブトムシは、外側の殻が少し透けて中が見えるくらいになっている。息子が顔をくっつけながらじーっと、ひたすらじーっと見つめ観察している。時々指でちょんっと触って蛹がぐいぐいっと動くのを確かめている。母ちゃん大丈夫、みんな生きてる。息子がにまっと笑う。 ネモフィラの芽はひょろひょろと伸びたのに、すべて水と風に倒れてしまった。これは全滅かもしれない。悲しくなってプランターの前にしゃがみ込む。隣の向日葵は何とか育っている。コンボルブルスも順調。何故ネモフィラだけが。悲しい。 息子のオクラは本葉を拡げている。でも、何本が倒れてしまった。私たちの水のやり方が豪快なせいかもしれない。これでも気を付けて優しくやっているつもりなのだけれど。息子と二人顔を見合わせ、しょぼーんとした表情になる。僕のこと嫌いなのかな、オクラさんは。息子がそんなことを言い出すから、そんなことないよ、淘汰されただけだよ、自然のなりゆきだよ、と慌てて全力で否定する。 犬の散歩はどんどん遅い時間に。陽射しが強すぎてうちの犬はすぐバテるから、せめて暑さが和らいだ夕方以降じゃないと。でも、そうして暗くなってから散歩すると、彼は大好きな桜の落ち枝を探してはがしがし食ってしまう。暗くて私が確認できないのをいいことに、もう勢いよく次々食べる。あんまり食べるので、知り合いのこれまた犬の散歩の方が「よっぽど桜の枝好きなのねえ」と呆れている。 この間のカウンセリング。不思議な感覚が残っている。幼い頃に穿たれた楔が、ひとつ、ふっと消滅したような、そういう感じ。しかもそれは、無理矢理抜かれたわけでも何でもなく、私が手放した、そういう感覚が強く残っている。 そう、サイン帖に書かれたあの言葉がずっとずっと、幼かった私の心に刻まれて、それはずっと血を流し続けていたんだ。「あなたは何でもできるから、できない人の気持ちが分からない」「あなたはひとの半分以下の努力で満点とれてしまうから、努力してもできないひとの気持ちが理解できていない」「もっとやさしくなりなさい」。とある先生からの言葉。 私は。 私はそんなに冷たい人間なのか。努力してる人のことを理解できないような人間なのか、気づけない人間なのか、そんな最低な人間いる価値もない。―――幼かった私は、先生からの言葉を真っ向から受けて、自分を、最低で居る価値もない人間、と定めてしまった。あの日からずっと。 でも。本当に、そうなの? 努力してなかったわけでも、努力がひとの半分で済んだわけでもない。私は見えないところで努力していただけで、それが気づかれなかっただけで。 幼かった私は、自分を認めてやることがまったくできなかった。先生からのその言葉を抹消面から受け止めて、傷付いて、身動き取れなくなってしまった。 でも。 違うんだよ。私。いいんだよ、もう。あなたがあの頃置かれていた環境についても、あなたの陰の努力についても、私がちゃんと知ってる。今なら言える。ちゃんと認めてあげられる。だから。 もう泣かなくて、いい。 |
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